「グラーフ・ツェッペリン」と「ヒンデンブルク」
大型旅客用飛行船の黄金時代
大型硬式飛行船の時代が過去のものとして置き忘れられようとしているとき、魅惑的な飛行の時代の顕著な姿を身近な経験として、大型飛行船のエンジニアリング設計・建造・運用をきちんと記録することの重要性が明確になってきた。
1934年から38年までの期間は「グラーフ・ツェッペリン」がドイツから南太平洋を渡ってリオデジャネイロまで定期運航計画に従って旅客運送飛行を行い、「ヒンデンブルク」がドイツから最初の北大西洋横断旅客運送を行っていた。
2隻の巨大な飛行船の運航が成功裏に行われたあと「ヒンデンブルク」の悲劇的な事故が起きた。その結果、「ヒンデンブルク」の姉妹船が、水素の代わりにヘリウムを用いるように改造され、ヘリウムの貯蔵と清浄に必要な対策が講じられた。その後、北大西洋を横断してヨーロッパと合衆国を往復する豪華で、快適に旅客を運ぶために設計された4隻の大型飛行船隊のために、運用・ドッキングの機能を向上させる計画が立てられた。
この、またとない機会に若者として参画出来たことは幸運であった。私はマサチューセッツ工科大学の学位を持ち、気球と軟式飛行船の操縦免許と硬式飛行船「アクロン」「メーコン」の設計実務とエンジニアリングに関する数年の経験によって難関のツェッペリン飛行船製造会社に従事することが出来た。
ドイツからグッドイヤー・ツェッペリンへ提出した私のレポートや、ポール W.リッチフィールド大統領への進捗レポートなど、通常ルートによるレポートが記録されている。ドイツがナチズムと再軍備を加速させていた1937/8年の時期には、レポートや技術情報をグッドイヤーに送ることは出来なかったが、情報は継続して収集し私の個人ノートに蓄えられた。ツェッペリン飛行船製造社の人達との密接で友好的な関係により、私のデータ収集に決して疑念を生じることはなかった。
大型硬式飛行船の設計・エンジニアリング・建造・運用に関するデータ収集がこの著作の基礎となっている。広範囲なメモ・レポート・記録データを含む資料は整理されて不滅の事業に耐える質に精製された。
この仕事に最も適任の人物は大型硬式飛行船に関する数冊の書籍の著者、ダグラス H.ロビンソン氏である。氏はアメリカだけでなく、イギリスやドイツを含めた大型硬式飛行船に関する第一流の研究者として知られている。
私がダクラス・ロビンソン氏と初めて出会ったのは1937年夏のことである。そのときダグラス氏は19歳で、ヨーロッパを自転車旅行しており「ヒンデンブルク」の姉妹船、後に「グラーフ・ツェッペリンⅡ」と命名されるLZ130を見るためにフリードリッヒスハーフェンに立ち寄ったのである。クヌート・エッケナーに呼ばれて彼の事務所に行き、そこでダグに会い、彼を格納庫に連れて行きLZ130を見せた。LZ130はヘリウムガスで運用するために改装中であった。私はダグが何度もその船に入ってみたいと懇願したことを良く憶えている。しかし、それは不可能であった。安全のために禁止されていたのである。
数年の後にダグラス H.ロビンソン博士と交流が再開され、膨大な量の情報やデータを活用できるように整理する辛気くさい仕事を分担してくれた。
この本に添付された詳細なデータや技術情報は有益である。この件で、たとえ巨大な硬式飛行船を見たことがない人にも、関係者がその頃 それを開発し、建造し、飛行させていたことに興味を持って貰えることを願っている。
この本で表現された意見は私自身の考えである。
ハロルド G. ディック
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