LZ127Profile

大型旅客用飛行船の黄金時代(0)

Rathaus

Harold G.Dick with D.H.Robinson著 "Graf Zepperin & Hindenburg"

「グラーフ・ツェッペリン」と「ヒンデンブルク」
大型旅客用飛行船の黄金時代


謝辞 および 写真に関する註記


謝辞

私はフーゴー・エッケナー博士に大変感謝している。博士は私に、新しい特殊な開発の情報を提供し続けてくれたし、「ヒンデンブルク」に関して多くの飛行の機会を与えてくれた。 特に最初の試験飛行で、私は船上でただ1人飛行船製造会社の従業員でない人間であった。

ツェッペリン飛行船製造会社の技術者たちは協力し援助してくれたし、飛行船会社の運航に携わる人達のことも特記しておかなくてはならない。彼らの情報共有の気持ちなくしてはこの本は完成しなかった。

カール・アルンシュタイン博士の援助と支援も大きかった。「グラーフ・ツェッペリン」、「ヒンデンブルク」両船上に技術役員を乗せてツェッペリン飛行船製造会社の技術者と建造に携わる人との緊密な接触を望む彼の思いは、私のフリードリッヒスハーフェン滞在期間を通して貴重な体験となった。

クヌート・エッケナー氏には特に感謝している。彼は「ヒンデンブルク」と「グラーフ・ツェッペリンⅡ」の建造において具体的提案をしている。私のドイツ滞在をさらに充実させるために自宅を私に開放し、ミュンヘンのオクトーバーフェストに招待してくれた。さらに私にフリードリッヒスハーフェンの魅力的なポイントを幾つか教えてくれた。

最後になったが、州立ウィチタ大学のイングリッシュ学部長であり、米国史学部長のロス・テイラー博士にもお世話になった。博士には私の5年間にわたるドイツ滞在期間に関して、技術分野に限らない膨大な記録を提供して戴いた。エッケナー博士、彼の子息のクヌート、そのほかのツェッペリン飛行船製造会社の人々と同様感謝している。テイラー博士の指導なくしてはこの本の執筆は出来なかった。

写真に関する註記

第2次大戦以前に両名の著者はツェッペリン飛行船製造会社に公式写真について照会し、多くの写真を使用のために複写した。おそらく写真原画は大戦中のフリードリッヒスハーフェンへの大規模な爆撃によって失われたものと思われる。事実、保存用の原画は包装されて町の周囲の村に分散されていた。しかし、ドイツ降伏後その地域を占領したフランスに差し押さえられ、何処かへ持ち去られてしまった。

1955年にロビンソン博士が、フリードリッヒスハーフェン市が市役所の最上階に小さな博物館を計画していることを知り、市長のグリュンベック氏に手紙を書いてツェッペリン会社の写真を出版物に使うことを照会した。グリュンベック氏はツェッペッリン飛行船製造会社の写真を使うことを認めたが、紛失した原版の所有者にその出版物を送るように申し入れがあり、それは果たすことが出来た。

その後、ドイツの官辺がツェッペリン会社の原版がパリの航空博物館に包装されたままの状態で保管されていることを知り、西ドイツ政府の根気強い交渉の結果、これらの写真は最終的にフリードリッヒスハーフェンに戻ってきた。

大型旅客用飛行船の黄金時代に戻る

トップページに戻る