「グラーフ・ツェッペリン」と「ヒンデンブルク」
大型旅客用飛行船の黄金時代
「グラーフ・ツェッペリン」は1934年6月18日、ペルナンブコからフリードリッヒスハーフェンに向かう途中、赤道無風帯から抜けるときに、このような向かい風に遭った。私がはじめて乗船した南米飛行のときのことである。全く雲のない状態だったので、大気不安定の兆候はなかったが、飛行船が向かい風になり始めると突風の増加が感じられた。
すでに操船可能の段階を越えていた。おそらく飛行船はそのとき1トンは軽くなったに違いない。向かい風に突入すると、飛行船は最初 船首を持ち上げ、1分間に400フィートで上昇し始めた。約10秒ほどでそれが終わると、下向きになり1分400フィートの割合で降下しはじめた。このときの高度は650フィートであった。
この短い時間に気温は華氏70度から84度に、湿度は70%から50%に、風力は北北東2~4MPHから北東20MPH(57度相当)に変動している。飛行船が8度から10度にピッチングしているあいだ、上昇舵角は10度にとられた。飛行船は、その間も風の中で揺れていた。
風速、風向の緊急チェックが行われたあと、より良い条件を探すために高度が上げられた。
そのときの観測結果は次の通りである。
高度(ft) | 気温(F) | ガス温(F) | 相対湿度 | 風向 | 風力 |
650 | 84 | 77 | 50% | ENE | 29MPH |
985 | 84 | 76 | 47% | ||
1310 | 82 | 75 | 44% | ||
1640 | 84 | 75 | 42% | EbyS | 24.5MPH |
1970 | 83 | 74 | 40% | ||
2300 | 84 | 74 | 38% | ||
2625 | 80 | 72 | 38% | ||
2950 | 79 | 69 | 38% | SE | 17.9MPH |
3280 | 79 | 69 | 38% | ||
3609 | 78 | 68 | 38% | ||
3937 | 77 | 68 | 36% | ||
4265 | 75 | 68 | 35% | ||
4593 | 74 | 67 | 35% | ||
4922 | 72 | 66 | 35% | SEbyS | 17.9MPH |
5250 | 71 | 66 | 34.5% |
上昇率は1分間あたり圧力高度220フィートである。
ガス嚢は4593フィートで、12番・13番・14番・15番・16番が100%になり、4790フィートで、1番・2番・3番が100%になった。
南南東の風が比較的マシであったので、飛行船は4922フィートまで降りて針路に沿って飛び続けた。暴風は南米沿岸では稀であり、通常ペルナンブコとバイアの間で遭遇した。南からの冷たい風が吹き、それに伴う気温変化が乱流を引き起こすために生じた。これらの暴風は危険と分類されるほどではなかったが、海から50マイルまでは広がらず、飛行船の航路は容易に変更された。
航路を変えるときは常に海に向けられた。常套手段は暴風のまわりを通り、その特性を調べて、開口部があればそこから外に出ることであった。可能な限りの天気図が作成された。「グラーフ・ツェッペリン」は天気図を頼りに飛んでいたと言える。
もし、ローヌ渓谷の状態が非常に悪ければ出発が遅らされたが、これは基本的にフランスから押しつけられた制約であった。ローヌ渓谷が完全に霧で覆われるか、強い向かい風か、渓谷一帯が暴風のときは出発が延期された。12マイルの通行幅は過酷な気象条件での操船には不十分であった。
「グラーフ・ツェッペリン」の船上で得られた気象報告は、特別な気象環境の場合、当直士官に予め警戒指示が出されていた。通常ここでの概略の気象条件に基づいて、そのときの天候を判断して針路はしかるべく変更された。
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