LZ127Profile

大型旅客用飛行船の黄金時代(6)

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Harold G.Dick with D.H.Robinson著 "Graf Zepperin & Hindenburg"

「グラーフ・ツェッペリン」と「ヒンデンブルク」
大型旅客用飛行船の黄金時代


第1章: 私の飛行船事始め(2)

それから4年間、プロジェクト部門で仕事をした。そこは計画中の飛行船の内部配置、重量、性能計算などすべてにわたって責任をもつ部署であった。さらに面白いことに、私は約10名のグッドイヤー・ツェッペリンの若いエンジニアのグループに選抜された。

ここでは硬式飛行船の設計と建造に関して、将来責任ある立場になる可能性に備えて広範囲な経験と実習をさせてくれた。指導は理論面ばかりでなく実際の応用面にまで及んだ。所詮、巨大な「グラーフ・ツェッペリン」にしてもただ動力付きの気球であり、我々は自由気球の飛翔から実際の航空力学を学び、次いで小型のグッドイヤー軟式飛行船で操船の訓練を行った。私は国際航空連盟(FAI)の1933年10月27日付けの球形気球操縦免許証1074号と、1934年5月25日付けの可導気球(訳者註:軟式飛行船)操縦免許証249号を持っている。この2つの免許証には、1903年12月17日にキティー・ホークで歴史に残る最初の操縦可能な動力付き飛行を行った航空界の長老で当時デイトンに住んでいたオービル・ライトの署名があることが私の誇りである。

その間に私の知らない会社の上層部では、グッドイヤー・ツェッペリンと親会社ツェッペリン飛行船製造社の間が思ったほどうまく行っていないことについて対策が検討されていた。会長のエッケナー博士はリッチフィールド社長やアメリカの飛行船関係者と常に親しくしていたが、ツェッペリン社の一般従業員はツェッペリンの「取引上の秘密」を共有すべきであると嫉妬と不満を抱えていた。なかでもエッケナー博士の理想の大洋横断飛行船で706200立方フィートの、後に「ヒンデンブルク」と命名されるLZ129は建造準備段階であったが、グッドイヤー・ツェッペリンは勿論この船のすべての情報を欲しがっていた。1928年建造の年代物の「グラーフ・ツェッペリン」より格段に洗練された印象であった。

エッケナー博士の返答は、グッドイヤー・ツェッペリンからフリードリッヒスハーフェンに軟式飛行船のパイロットを派遣し「グラーフ・ツェッペリン」の南米への旅客飛行に乗り組ませようというものであった。私は、この話を1934年に我々の何人かがリッチフィールド氏とグッドイヤー副社長の1人ジョー・メイル氏と会うまで何も知らなかった。ジョー・メイル氏はエッケナー博士と、我々の軟式飛行船パイロットを「グラーフ・ツェッペリン」に乗せるために派遣することと理解していた。その場の話のなかで私は「なぜ、飛翔について何か知っている技術者を派遣して調べさせようとしないのですか?」と質問した。

リッチフィールド氏はすぐ話題を変えた。しかし翌日、大混乱が起きたことを後日知った。グッドイヤー・ツェッペリンの主任設計者アルンシュタイン博士は直ちに同意してLZ129の建造に従事している熟練技術者の報告は軟式飛行船パイロットの観察より有益であることに同意を示した。

リッチフィールド氏はまた、信頼できる資格のあるグッドイヤー・ツェッペリンの代表者がフリードリッヒスハーフェンから報告する必要も感じていた。私の思いつき発言のちょうど一週間後、ジョージ・ルイスと私は「グラーフ・ツェッペリン」にドイツ人達と乗船し、またLZ129の建造状況を調べるためにフリードリッヒスハーフェンに行く荷造りについて相談していた。

我々はアルンシュタイン博士に新船の建造状況について頻繁に技術レポートを送るように指示され、リッチフィールド氏からは全般的な状況についての報告を送り続けるよう求められた。

こうして1934年5月、ジョージと2人でヨーロッパに行く汽船「プレジデント・ハーディング」に乗船した。私が再び合衆国に帰ったのは14ヶ月後のことである。

私はリッチフィールド社長に直接かかわり、支援できたことを喜んでいる。そのため、次の手書きの手紙を宝物にしている。


1934年9月16日
親愛なるハロルドへ

君の34年9月4日の手紙を拝見した。
パイロットである技術者ディックと技術者の鬼神ルイスは、寒いドイツの冬に赤ゲットで懸命に頑張っていることと思う。
4月頃、君たちは合衆国オハイオ州アクロンで、熟練した硬式飛行船の操船と、設計と建造を担当することになろう。
この資格を取得したら、ワシントンの官僚達に飛行船は無用の長物ではないと確信させることが出来る。

寒い9月の朝、グッドイヤー・ツェッペリン社にて

グッドイヤー・ツェッペリン社

社長 P.W.リッチフィールド


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