航空史上、最も有名な航空機は「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」である。
ここでは、その飛行船について記述しようと思う。
しかしながらツェッペリン飛行船、特にこの「グラーフ・ツェッペリン」については書籍、雑誌、ウェブページなど膨大な量が至るところに紹介されている。
これらの資料は一般に事実、史実に基づいて記述されたものであろうが、明らかに間違っているものもある。
なかには工事中であるべき時期に就役していたり、解体されたあとに飛行しているような記述もある。単に年号を書き間違えたものもあるが、実在の飛行船名や地名を使ったフィクションや、それを信じ孫引きして架空の地名や国名を書いているものもある。
国内で発行されている書籍では硬式飛行船のガス嚢(ガスセル)の素材として用いられていたゴールド・ビーターズ・スキン(ゴールトシュレーガーハウト)のことを、殆ど牛の盲腸皮膜としているのも気になるところである。
当事者の記述した内容が、必ずしも事実のみを告げているかどうかも検討してみる余地がある。
本人や、その所属する会社、当時の国家などの都合で虚偽は記載しないまでも、事実を書いてないことはあり得る。
エッケナー博士がナチスによって排除されたあと、社長となったエルンスト・レーマンの著書「ツェッペリン」の書評には、『ドラマティックではあるが、常に信頼に足る事実とは限らない』と書いているものもある。
校正は自分では正しいと信じているので誤記・誤植も見落としがちであり、第三者の校正は字面のみとなりそのまま出版されることもある。
「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」は9年間にわたって運航され続け、その活躍の場は世界中に広がっているので、時差の関係で日時の表示が異なるものもあるし、本来メートリック系の度量衡もフィート・ポンド系に換算されたり逆換算で誤差の生じている場合もある。
それら広範にわたる内容を順に、間違えないように記述することは非才な凡人にはとても出来そうにないので、ここでは順不同に判明したところから書き付けて行くことにした。
上記のような理由で、当面は記載内容の粗仕分け程度の見出しを付け、判ったことから記載して行き、訂正や追記を重ねてある程度まとまったところで全体を見直すつもりである。
大型渡洋旅客用飛行船の計画
通信・航法計器
ツェッペリン・エッケナー義捐金
LZ127の計画
運航全般
第1回中東(地中海)飛行(1929年3月25日~28日)
第2回地中海(スペイン)飛行(1929年4月23日~25日)
第2回訪米を期してスペインで引き返した飛行(1929年5月16日~5月24日)
世界周航(1929年8月1日~9月4日)
イギリス航行(第58次航:1930年4月)
リオデジャネイロ(三角)飛行(1930年5月18日~6月6日)
モスクワ飛行(1930年9月9日)
第2回中東(エジプト)飛行(1931年4月9日~13日)
北欧飛行(1931年6月24日~31日)
北極探検飛行(1931年7月24日~31日)
訪英飛行(1931年8月18日)
1931年第1回南米(レシフェ)飛行(1931年 8月29日~ 9月 7日)
1931年第2回南米(レシフェ)飛行(1931年 9月18日~ 9月28日)
1931年第3回南米(レシフェ)飛行(1931年10月17日~10月28日)
1932年第1回南米(レシフェ)飛行(1932年 3月20日~ 3月29日)
1932年第2回南米(レシフェ)飛行(1932年 4月 5日~ 4月13日)
1932年第3回南米(レシフェ)飛行(1932年 4月17日~ 4月27日)
1932年第4回南米(レシフェ)飛行(1932年 5月 2日~ 5月10日)
1932年第5回南米(レシフェ)飛行(1932年 8月29日~ 9月 7日)
1932年第6回南米(リオ )飛行(1932年 9月12日~ 9月21日)
1932年第7回南米(レシフェ)飛行(1932年 9月26日~10月 4日)
1932年第8回南米(リオ )飛行(1932年10月 9日~10月19日)
1932年第9回南米(リオ )飛行(1932年10月24日~11月 3日)
1933年第1回南米(リオ )飛行(1933年 5月 6日~ 5月17日)
1933年第2回南米(リオ )飛行(1933年 6月 3日~ 6月13日)
1933年第3回南米(リオ )飛行(1933年 7月 1日~ 7月12日)
1933年第4回南米(リオ )飛行(1933年 8月 5日~ 8月15日)
1933年第5回南米(リオ )飛行(1933年 8月19日~ 8月29日)
1933年第6回南米(リオ )飛行(1933年 9月 2日~ 9月12日)
1933年第7回南米(リオ )飛行(1933年 9月16日~ 9月26日)
1933年第8回南米(リオ )飛行(1933年 9月30日~10月 9日)
1934年第1回南米(リオ )飛行(1934年 5月26日~ 6月 5日)
1934年第2回南米(リオ )飛行(1934年 6月 9日~ 6月19日)
1934年第3回南米(リオ )飛行(1934年 6月23日~ 7月 6日)
1934年第4回南米(リオ )飛行(1934年 7月21日~ 7月31日)
1934年第5回南米(リオ )飛行(1934年 8月 5日~ 8月14日)
1934年第6回南米(リオ )飛行(1934年 8月18日~ 8月28日)
1934年第7回南米(リオ )飛行(1934年 9月 1日~ 9月11日)
1934年第8回南米(リオ )飛行(1934年 9月15日~ 9月25日)
1934年第9回南米(リオ )飛行(1934年 9月29日~10月 9日)
1934年第10回南米(リオ )飛行(1934年10月13日~10月23日)
1934年第11回南米(リオ )飛行(1934年10月27日~11月 5日)
1934年第12回南米(リオ )飛行(1934年12月 8日~12月19日)
1935年第1回南米(リオ )飛行(1935年 4月 6日~ 4月16日)
1935年第2回南米(リオ )飛行(1935年 4月20日~ 5月 1日)
1935年第3回南米(リオ )飛行(1935年 5月 4日~ 5月14日)
1935年第4回南米(リオ )飛行(1935年 5月19日~ 5月28日)
1935年第5回南米(リオ )飛行(1935年 6月 1日~ 6月11日)
1935年第6回南米(リオ )飛行(1935年 6月15日~ 6月25日)
1935年第7回南米(リオ )飛行(1935年 6月29日~ 7月 9日)
1935年第8回南米(リオ )飛行(1935年 7月15日~ 7月25日)
1935年第9回南米(リオ )飛行(1935年 7月29日~ 8月 7日)
1935年第10回南米(リオ )飛行(1935年 8月13日~ 8月22日)
1935年第11回南米(リオ )飛行(1935年 8月27日~ 9月 5日)
1935年第12回南米(リオ )飛行(1935年 9月 9日~ 9月18日)
1935年第13回南米(リオ )飛行(1935年 9月23日~10月 2日)
1935年第14回南米(リオ )飛行(1935年10月 7日~10月16日)
1935年第15回南米(リオ )飛行(1935年10月23日~11月 4日)
1935年第16回南米(リオ )飛行(1935年11月 7日~12月10日)
1936年第1回南米(リオ )飛行(1936年 4月13日~ 4月24日)
1936年第2回南米(リオ )飛行(1936年 4月27日~ 5月 8日)
1936年第3回南米(リオ )飛行(1936年 5月11日~ 5月21日)
1936年第4回南米(リオ )飛行(1936年 6月 8日~ 6月18日)
1936年第5回南米(リオ )飛行(1936年 6月24日~ 7月 6日)
1936年第6回南米(リオ )飛行(1936年 7月 9日~ 7月20日)
1936年第7回南米(リオ )飛行(1936年 7月30日~ 8月10日)
1936年第8回南米(リオ )飛行(1936年 8月13日~ 8月24日)
1936年第9回南米(リオ )飛行(1936年 9月 9日~ 9月21日)
1936年第10回南米(リオ )飛行(1936年 9月23日~10月 5日)
1936年第11回南米(リオ )飛行(1936年10月 8日~10月19日)
1936年第12回南米(リオ )飛行(1936年10月29日~11月 9日)
1936年第13回南米(リオ )飛行(1936年11月11日~12月 1日)
1937年第1回南米(リオ )飛行(1937年 4月13日~ 4月24日)
1937年第2回南米(リオ )飛行(1937年 4月27日~ 5月 8日)
(工事中)
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