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陸を越え、海を越え

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Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

南米航路(1)

南米航路 1930-37年

1924年にアメリカに飛行したZRⅢが建造される前、1920年のことであるが、ヴィルヘルム・パッシュというビルバオ在住のドイツ人商人と、同じ街に住むトーマス・レメンタリアというバスク人が、スペインとアルゼンチンを結ぶ飛行船定期航路を開設したいと訪ねてきた。

レメンタリアはスペインとアルゼンチンとの間にスペインで組織された高速航空路を開設することでスペイン政府に大いに寄与しようという構想を描いていた。

彼は、特に飛行船による空路を考えており、ツェッペリンの実績を非常に大きく評価していた。

彼は老船長で、相当な財産を蓄えており、確信を持って次のように私に説明した。「世界中で、セヴィリアを基点としてスペイン沿岸地帯から貿易風と赤道無風地帯を通ってアルゼンチンに行く航路ほど飛行船の空路に適したところはない。」

全体として彼の話に同意したが、私はまず その無風地帯と雷雨や湧出雲などを見なければならないと思った。

レメンタリアは、その地域を調査する資金の用意は出来ていると言うので私はそれに同意した。その調査行にツェッペリン社の気象学者レンパーツ博士を同行して貰うことにした。

その前後10年間で最も暑かった1921年の7月1日に出発した。セヴィリアまでの長い鉄路の旅にあまり楽しい想い出はない。気温30℃以上の高温のなかを出発し、パリでは35℃になり、フライパンのようなスペインのアンダルシアに向かったが、マドリッドからの夜汽車が着いたのは昼近くで、日影でも40℃近かった。

我々が2日間待ったセヴィリアは、見どころの多い芸術と建築の魅力的な街であったが、異常に暑い年の7月はそれどころではなかった。

運良く翌日、バルセロナを出港したスペイン汽船会社のレイナ・クリスチーナの来るカジスに向かってそこを発った。

この長い航海では、たっぷり時間があったので風や天候を調べることが出来た。最初は、季節によって違うが北緯10~15度から北東貿易風が吹く海域で、復航には和風から疾風の向かい風になるが、この時はスコールにも雷雨にも遭わなかった。

次は冷たい貿易風海域に達し、そこから無風海域に入った!一日中この海域を航行して、スコールに遭い、モンブランほどの高さに盛り上がった黒い積雲に遭遇した。芸術家や気象学者には魅力的であったかも知れないが、飛行船のパイロットにとってはとても好ましいとは思えなかった。そのとき、その大量の雲から降った雨の量は大洪水のようであった。

航空の専門家はその湧き上がる雲を通ってツェッペリンが飛行することは不可能だと思うに違いない。だが、誰がツェッペリンの専門家なのだろう?いずれにせよ、私は強風はこのようなスコールに勝ることはないと結論づけた。

無風海域をしばらく航行したあと、天候は回復した。その南端には驟雨前線が続いていたが、南東の貿易風が影響を及ぼし、とても空の旅に快適なところとは思えなかった。

南東貿易風の最後の部分にはラプラタ川の川口が開けており、再び条件が良くなった。但し、アルゼンチンから乾燥した西風パンペロが吹くときは別である。

全般的に、私は充分に満足し、その海域が飛行に適していると考えたが、その時点ではツェッペリンが洋上でひどいスコールに遭ったとき、どう操船するかという経験は持ち合わせていなかった。

南米航路(2)

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