LZ127Profile

陸を越え、海を越え

Bild174

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

世界周航(9)

すべてのエンジンに100時間分の燃料を補給した。ロサンゼルスまでの距離は1万kmであり、従って広い太平洋を渡るこの飛行に確信をもって臨んでいるのである。

航法的には興味ある飛行であった。東京を出発前日通過した台風が気になったが、それは北東に移動して行った。この台風に追いつけると思った。そうすれはこれを利用することが出来るかも知れない。なぜなら台風の中心は飛行船ほど速く移動しないからである。それで針路を東方に定めた。

天候は晴れ、ほぼ静穏であった。しかし3時間もしないうちに、徐々に強さを増して強い北風になった。台風のうしろに近付いている兆候であった。東に立ち上る一群の黒雲が見えた。雷を伴ったひどい暴風が飛行船の進路を遮るように広がった。

陽は沈みつつあり、赤金色の巨大な雲の峰を輝かせていた。それは忘れがたい光景であった。

前方に雲の壁が現れてから台風の中心は少なくとも80~100km北にあったが、南の驟雨前線に逃げ道を見つけた。少し南寄りに変針し、ほどなく2つの暴風のあいだに隙間を見つけてそこをすり抜けた。

思ったように事態は早く展開していた。強かった北風は急に弱くなり、定常的に吹く南西の風になり、台風にかき回された乱流の南方で速く飛べる見通しが得られた。海面上で時速80kmに落ちていた速度が、徐々に140kmまで上がり、その後4、5時間持続した。そのあと台風の余波を脱して天候は静安になった。

さて、ここから良い気流を探さなくてはならない。東京で日本の提督が、一年のうちこの時期は大圏コースを通る最短航路に沿って、いつも深い霧が出ると話していた。それは、このコースに沿って北西の風が湿気が多く暖かい赤道海流に吹き込むからである。この西風を探さなくてはならない。そうすれば自然に、そのときの最短コースに最も好ましい風が見つかるに違いない。

それで雷雨前線を通過してまもなく、それまでの東向きから東北東に針路をとった。概ね南東からであったが、くるくる変わる風のなかを、北緯35度から36度、37度と上り、46度にまで達した。

北緯44度、東経175度で太平洋横断飛行で3度目の西風域に入った。その風は殆ど飛行の最後まで飛行船に付随していた。

この区間の飛行のうち最初の3分の1で29時間飛行し、平均時速は140kmであった。少なくとも終わり3分の2の半分は深い霧や密雲のなかを飛ばねばならず、位置を確認することが全く出来なかった。それで気温の変化から、雲あるいは霧の中を西風に乗って航行していると判断せざるを得なかった。気温はだんだん低下して行き、北東に針路を向けたときの18℃から10~11℃に下がり、アメリカ沿岸に到達したときに通過した驟雨前線までその気温が持続した。

このとき日本の汽船に遭遇し位置を確認したところ、注意深く設定した航路から270kmも外れていたことが判った。24時間のあいだに霧の中を飛び、西風が我々の計算より時速にして11kmも速く吹いていたのである。この誤差は嬉しい驚きであった。

一日中、霧か雲のなかを飛び続け、ちょっと海面が見えただけで何も見えないのは辛かった。乗客は水平線まで続く気の遠くなるように広い海を大きな窓から眺めながら、偶然行き合った船を見ることは言うに及ばず、水面に輝く様々な色彩や雲の海を眺めたりと楽しみを見つけていた。

飛行船が海洋を空高く航行することは決して単調などではなく、常に楽しいことであった。海や雲の、絵のような光景がいつもめまぐるしく展開しており、広い大洋を行く船のゆったりした動きと対照的であったからである。人はこのような飛行船のもたらす光景に明快な見方を持つべきであろう。

霧の中を航行するときはこのような魅惑的な展望が失われ、社交的に時を過ごすしかなかった。これは飛行船のなかでは難しいことではなかった。充分に広い空間と歩き回る自由があるので、ゲームに興じたり会話を楽しむことが出来た。

乗客の多くにとっては、昨夜の午後11時に就寝したときに8月24日であったのに、夜のあいだに東経180度の国際日付変更線を越えて、次の朝に再び8月24日であったことは小さな感動であった。

たとえ些細なことであっても、幾人かの人にはそのまま受け入れにくいようであった。

世界周航(10)

陸を越え、海を越えのはじめに戻る

トップページに戻る