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陸を越え、海を越え

L71

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

序(3)

海軍が1914年に海軍飛行船部隊を創設し、ツェッペリン飛行船を空中の巡洋艦として採用することを決定したことには本当に満足し、喜んだものである。開戦時、私は「義勇飛行船船長」として海軍飛行船隊を指揮することを委嘱された。

海軍省は民間人である私の義勇志願を受理し、私に飛行船指揮官を訓練する教官に採用した。そこで、私は理論と操船実技の両面から飛行訓練を行った。まもなく、訓練飛行は戦闘空域に巻き込まれ、北海の一角で訓練用飛行船は偵察海面に出動した。

私は、特に優秀で有能な「海軍飛行船隊司令」であるシュトラッサーと懇意になり、いろいろな場面で彼にアドバイスすることが出来た。このためもあって海軍飛行船隊は増強され、活躍の場を拡げていった。シュトラッサーは陸軍飛行船部隊で普通に使われている大型飛行船に不慣れだったので、ツェッペリンで建造する更に高性能な飛行船には同意しなかった。彼はこの規模の飛行船を、明らかに軍事行動で効率の良い適切な大きさを超えていると認識していた。

もし、シュトラッサーのような男が2~3年早く彼の立場にいたら、開戦時に海軍は極めて優秀な飛行船隊を擁していたことであろう。シュトラッサーのゴールは最終的に1917年に到達した。敵の防御網が地上の対空砲火と性能の改善された飛行機で強化されるなかで、飛行船はそれ以上何も出来なかった。

ちょうどその頃、ツェッペリンは戦争開始後最初の2~3年、非常に有効な性能改善を遂げていた。非常に優秀な将校に率いられた飛行船が、北海全域を偵察・監視し、その結果大幅に巡洋艦戦隊を駆逐した。ユットランド海戦では、最初は天候に妨げられたが、飛行船が高海艦隊司令長官に戦況を報告することが出来、その情報によって重大な決断が下され、ドイツ海軍は多大な損害を免れたことは間違いないと思っている。彼らは強大な敵艦隊の接近を知らせたのである。

開戦1年目のロンドン空襲は、もし更に大きく高々度で安全に操縦できる飛行船によってなされていたら過大評価されることはなかったと思う。ご承知のように針で突いたような爆撃であった。痛いけれども所詮針で突いたようなものである。それは機会を逸した悲劇であった。

水兵の反乱が起きたとき私は帰郷した。1918年11月のことである。

私はそのとき既に、大戦のなかで最も興味をそそられることについて、間近にいて徹底的に精通していたので、飛行船が商用航空機として価値のあるものへと徐々に発展してゆくことについて理解することが出来た。

大西洋横断飛行船は現実となった。しかし、大戦の和平条件は当初、それを作ることも飛ばすことも禁じていた。この先、何が出来るのだろう?ツェッペリンのアイデアは、その可能性を実現した瞬間に死んだのであろうか?私の目の前に横たわっている課題は、その縛りを解き放とうとしていた。

ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(1)

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