確信にみちて未知なる冒険に立ち向かった。正確な位置が判らないまま、コンセプション湾の湾口は9時の時点で我々の向かっている方向であると推定した。約7時間後、航行中の汽船から船位を受信し、推定が概ね正確であったことを確認できた。北緯52度、西経48度であった。
出来るだけ早く、まだ南風の吹き荒れている海域から抜け出すために北東への進路を進んだ。もし、強風の中で南南東の針路を取っていれば、その位置から動くことも難しい筈であり、北東コースだけがそこから抜け出す途であった。
飛行は特に何事もなく継続された。ニューファンドランドの経験に較べれば、風は強かったとはいえ静かなものであった。気温は季節と北緯を考えれば非常に穏やかで、10℃に近かった。
特筆すべきは眼下に広がる光景で、ラブラドル海流に流されてきた氷山や氷塊が眼を楽しませてくれた。グリーンランド沿岸の私の好きな景色であった。
午前9時、風は秒速20~25mに低下しはじめ、昼頃にはわずか17m/秒の風が吹いているだけであった。飛行船は対地速度80km/時で飛行しており、2時間後には僅かに西よりの穏やかな微風しか吹かない海域に入った。
北緯54度線の北まで来た。ここから南東にむけて、英国海峡の入り口目指して約70ノットで直進した。そして、真夜中に西経20度に達し、残りの約2300kmを翌日の夕方までに行けると期待した。この期待は、海洋気象台から我々にもたらされた「スコットランド西の低気圧域は北東方面に移動しつつあると観測される」という気象情報に基づくものであった。もしそれが事実なら、西ないし北西の冷たい風が吹き、飛行船の速度は最低でも80ノットに達することが可能となる。
しかし、残念なことに翌朝になったため、そうはならなかった。帰途もまた、幸運には恵まれなかった。
翌日(水曜日)の朝、外を見渡すと西よりではなく、激しい北よりの秒速22mの風が吹き、まわりには嫌な雲とスコールが近いことに気がついた。英国海峡入り口に向かう東方には、まだ400kmの距離があったが、リザード岬とブレストの間の空は特に雲が厚かった。嵐は予報のように北東には動いておらず、どう見ても南の方に移動していた。
海洋気象観測所から午前7時に受信した気象概況では「低気圧の谷がアイリッシュ海からビスケー湾に発達しつつあり。その西端では驟雨前線が発達し、風速20m/秒。」と知らせてくれた。空模様を見てそれは正しいと思い、こちらの天候状況を午前6時に観測所に送ったことを思い出した。
もう一つ低気圧があった!読者もご承知のように、我々はこれらの低気圧にアメリカ沿岸からノバスコシア、バーミューダとつきあってきた。この気圧配置が何を意味しているのか我々には判らなかった。アメリカ沿岸では嫌な驟雨前線が西側にあり、それをひどいピッチング・ローリングで越えてくると、今度はニューファンドランドのトリニティ湾で飛行船をコースから逸らせた激しい南の強風がやって来た。
嫌だ!明らかに暴風域が近接しており、予測できない低気圧が発達中で、おそらく本格的低気圧になるのであろう。この場合、海峡の入り口でスコールに入りたくないので、もっと南よりのコースをビスケー湾にむけて、驟雨前線に沿って飛ぶ方がましであった。
航法の観点から見れば、これは非常に危なっかしく思えたが、芸術的・美的観点から見れば魅力的であった。それで、我々とともに乗っている画家 デットマンを操縦室に来るように呼びにやった。
彼は実に壮大な雲の群れや、聳える山岳、マッターホルンの頂上、昇る朝日の素晴らしい形や色など、迫力のある何枚かのスケッチを描き始めた。そのあと2~3時間にわたって展開されたのは、驚嘆し凝視する筆舌に尽くしがたい終わりない美しいパノラマであった。
この舞台のような光景に満たされていたが、やがて徐々に実際に起きている現実問題に注意を向けた。正午にビスケー湾のロワール河口と同じ緯度で南に迂回しているとき、もう鬼ごっこや止めて針路を東に定めた。状況はそうするようになってきていた。空模様は全般的に良くなってきていたし、風がまた北東に戻っているということは飛行船が海峡の入り口に居座っている乱流の南限に来た兆候を示していたからである。スコール域の隣接部を通過したが特に支障もなく、やがて穏やかな西北西の毎時7~8mの風が吹き、穏やかになった。
午後5時に海岸線に到達し、空はあたかも別れの挨拶のように、忘れがたいほど美しい花火のように輝き、デットマンは巧みにクレヨンで何枚かスケッチを描いていた。