LZ127Profile

陸を越え、海を越え

AtlantischerOzean

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(12)

6時にロワール河口で海岸線を越えた。我々は大西洋を乗り切ったのである。乗客区画からは、海岸線を越えた喜びの歓声や叫びが聞こえてきた。

我々には乗客の喜びを理解している余裕はなかった。11月の北大西洋の好ましからざる場面につきあわされ、油断できない状態に迂回を余儀なくされていたからである。

しかしキャビンにいた人の中には一部であるが、この先に非常に難しいところが横たわっていると考えていた人もいた。事実、環境条件を考えれば非常な幸運にでも護られなければ無事に通過することの出来ないコースであった。

夜のうちにフランスを横切りバーゼルに行かなければならなかったが、11月という気候を考えると幸いにして好天に恵まれたとしても、夜の霧は地表が見えにくく、悪天候の場合は濃い雲と暴風雨で上空が見渡せない。

こんな低い雲の中で1時間、あるいはもっと短い時間でも飛べば正確な位置がつかめなくなり、上空に昇らざるを得なくなり、そこでやっとコースからの偏流が判るであろう。その結果、実際に地表を見ることが出来なくなり、正確な位置を知るためには雲を突き抜けて降りなければならなくなる。

当時、無線方向探知機はなく、もちろんラジオビーコンもなかった。今日では自船の位置を知ることは容易になっている。

私はナント、ツール、ディジョンを経てバーゼルに向かうことにして、たとえ途中で地表を見失うことがあってもブルゴーニュ高原山岳の風下側にふたたび地表を見ることが出来るように計算した。

運のよいことに酔い位置にいた。針路をディジョンにとったが、好天でそれは容易であった。ロワール渓谷に散見された地表の霧は妨げにならず、何もない大洋を渡る長い飛行の後に、再び人の住んでいる町や村の灯りは楽しみであった。

ツールを過ぎてまもなく、地形が高くなったので上昇して低い雲に入った。最初は地表を見失わないようにその下を行こうとしたが、90mのアンテナを下げていたので諦めたのである。そして雲に入った。ちょうど、ニューファンドランド沖でそうしたように・・・。

しかし、ここではそのときほど大変ではなかった。安定した西の風が吹いていた。約1時間半、雲のなかを飛んだあと、突然 雲が切れてディジョンが眼下に現れた。事実、期待通りコート・ドールの風下側で雲が切れていたのである。

ここからは比較的開けているので、見晴らしのよいバーゼルまでの航路をたどることにして、ライン渓谷で霧が現れたら起こすように指示しておいて仮眠することにした。左手にシュヴァルツヴァルト、右手にスイスのジュラ山脈のあいだの深い谷をボーデン湖にむけて航行することにしていた。

しばらく横になって休んだ。そして深い眠りについた。この3日間、殆ど寝ていなかった。

突然、揺り起こされた。目の前に当直のレーマン技師が立っており、高度900mに達する濃い霧に入ったと告げた。私はすぐ操縦室に行くと言ったがまた寝てしまい、操縦室に着いたときは起こされてから半時間が過ぎていた。

高度900mで濃い霧のなかを飛んでいたが、上昇して霧から抜けなければならなかった。シュヴァルツヴァルトが間近に迫っていたのである。

驚いたことに飛行船は上昇出来なかったが理由はすぐに判った。上空には低く見積もっても12℃の非常に暖かい空気の層が横たわっていたのに飛行船はわずか2,3℃の層を飛んでいたのである。飛行船はこの暖かい空気のなかを昇ることは出来ない。

しかし、何とか上昇し1100mで霧から抜け出した。正面にはシュヴァルツヴァルトの最高峰が霧の海に島のように浮かんでいた。すぐ北にはブラウエン山があり、遙か前方には高さ1500m級のフェルトベルクの山頂が見えた。もうここまで来れば迷うことはなかった。下にホフェンシュヴァントを見て、まだ100km先のフリードリッヒスハーフェンに向かった。

ボーデン湖越しに地表が見えるかと思ったが、正面は最初一様に白い海のような表面が広がっていた。だが一瞬、この先2~3時間の基点になるものをかろうじて見ることが出来た。非常に運がよかった。突然、雲の中に穴があり、そこからユーバーリンガー湖とシップリンゲンの村が見えたのである。霧は頭上ですぐに閉じたので実に良いタイミングであった。

そこからフリードリッヒスハーフェンまで20km 霧の中を航行し、陸も水面も何も見えなかった。突然、魔法の一瞬のように霧のカーテンが部分的に開き、眩しい格納庫が顔を出した。午前4時であった。フランスの海岸線を通過して10時間、レークハーストを発ってから68時間が経過していた。

飛行船はさらに2時間飛行を続け、湖上に夜明けが始まる頃 地上支援員が発着場に集まっていた。そのとき、驚くべき光景を見た。フリードリッヒスハーフェンだけを残してボーデン湖は霧に隠れてしまったのである。奇跡のようであった。

私も随分年を取ったが、このような光景を見たことはない。フリードリッヒスハーフェンのまわりは秋の霧で素晴らしい眺めであった。何か偉大な力が、様々な出来事や困難の末 母港に帰投するグラーフ・ツェッペリンを助けてくれたような気がする。

午前7時に安着し、この飛行船の造られた格納庫に収められた。

この飛行の結果は満足できるものだろうか?

私は出来ると思う。事実、好天に恵まれて48時間の高速横断が出来たわけではなく、ジブラルタルからワシントンまで81時間を要し、帰途はニューヨークからロアール河口まで58時間掛かった。しかし、ツェッペリン飛行船はどんな悪天候下で重要構造の欠陥にもかかわらず安全に大海を横断し得たのである。

飛行船はもっと速くなくてはならぬ!

これは達成すべき目標に向けての最初の関門である。

大海のことをもっと知らねばならぬ。

しかし、この横断を成し終えて、往復の航海で非常に多くのことを学んだのである。

エジプトへのセンチメンタル・ジャーニー(1)

陸を越え、海を越えのはじめに戻る

トップページに戻る