LZ127Profile

陸を越え、海を越え

Bild145

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(8)

やっと、夕方の天気図を詳細に検討する時間が出来た。担当の気象予報士が持ってきてくれたものであるが、彼は良いものをもたらしたことで非常に満足げに喜んでいた。彼は「大西洋はとても順調なようです。」と言った。事実、その天気図を一目見ただけで北大西洋でこれより望ましい状態はないように思えた。

レークハーストからニューファンドランドまで、強い北西の風が優勢で、殆ど飛行船の速度に影響はなく、ニューファンドランドからは大きな高気圧帯がアイルランドまで北大西洋のほぼ全域を覆っていた。それで幾分上下しながら冷たい北西の風に乗ってニューファンドランドまで行ったあとは殆どの航程を快晴に恵まれて飛べるように思えた。その上ニューファンドランド経由のルートは大圏コースにのっているので最短距離である。

しかしながらニューファンドランドまでと、その南の海域からはたった一隻からしか気象情報がなく、何か判らないがちょっと気になった。冷たい北西の風がここに到来すれば驟雨の報告があって当然だと思ったのである。

一方、レークハーストから直接、通常の汽船の通る航路に沿って東に舵を取ると寒冷な北西の風が確実にコース上のガルフストリームに雷雨と乱流を起こすのであまり好ましくなかった。そんな乱れが低気圧の谷に当たるとバーミューダまでの全域に広がるおそれがあった。それが天候に何らかの変化をもたらし、バーミューダ経由の飛行船の針路にぶつかる可能性がある。

往航で低気圧にひどい目に遭ったので、それは避けたかった。従って、用心しながら大陸とガルフストリームの間の冷水域から出来るだけ遠ざかりながら大圏コースを行くことに決めた。このとき天気図を一緒に検討した者の中で、ここに述べたような不確定な事柄について我々を待ち受けていたショッキングな大事件を予測したものは誰も居なかった。

深夜になっても風はおさまらず、格納庫から飛行船を引き出すことが出来なかった。事態はむしろだんだん悪くなり、本当にその夜のうちに好転するのか疑われた。このような状況で、もし一人きりで居なかったとしたら、私の飛行船船長としての経歴のうちで最も神経質になっていたであろう。いらいらしながら格納庫の前を、その梁を吹き上げ、吹き下ろしている風のうなる音を聞きながら歩き回っていた。今でさえ、格納庫の前を月明かりに照らされて絶え間なく歩き回る姿をまざまざと思い出す。真剣に悩んでいたのである。

2~30人の記者が我慢しきれない様子で出発を待っていた。彼らは新聞社に電話して、秒速6~8m程度の異常な横風で我々が出発できないでおり、25人の乗客が待ちくたびれて待機していると告げていた。なんと素晴らしい旅客用乗り物だろう。

しかし午前1時頃になって風は少し和らいできた。我々は素早く乗客を乗せ、ドアを開けて大きな船体を外に出した。

午前2時に浮揚し、先に何が待ちかまえているか判らない冒険に出発した。最初に、乗客が非常に夜景を見たがっていたニューヨークへ向かった。そのときの飛行高度では秒速17mの北西の突風が吹いており、それに向かってゆっくりと北に進んだ。

午前3時に市街の上を通った。我々は戸惑った。無限の光の海が全方位に広がっており、驚いてこの新世界では照明にコストはかからないのかと思った。

見渡す限り、あらゆるところでボストンまでの海岸が連続した街のように光り輝いていた。深夜の早い時間であったが、港に在泊する無数の汽船が、お別れの挨拶にサイレンや汽笛を鳴らしていた。上空からはニューヨーカーがどれほど興奮していたか知るよしもなかったが、乗客はこの「楽しい旅」をとても喜んでいた。

そこから暗い外海に出た。鋭く冷たい風が吹いていた。

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(9)

陸を越え、海を越えのはじめに戻る

トップページに戻る