その後、夜明けまでずっと空は澄んで星が輝き、飛行船の速度と同じくらいの速度で冷たい突風を伴った風の吹く夜空を飛んでいた。やがて空は曇り始めた。厚い雲が正面の水平線に現れた。
冷たい北風が バーミューダまで広がった低気圧のくぼみに影響を与えていたことは明らかであった。ガルフストリームの暖気団の東端で冷気が混入し、激しい乱流と上下方向の気流を発生させたのである。
昼には驚くほど強烈な驟雨前線が飛行船のすぐ横に青黒く脅すように横たわっていた。突然風が激しくなり、ひどい乱流になった。飛行船は黒い壁に飛び込んだ。そこで激しく揺すられ、しばしば100m程度持ち上げられた。
しかし、そのときは比較的順調であり、飛行船は安定して操舵手の操作に順応していた。この空域を航行しているあいだに、気温は6℃も上がり、7~10℃になった。これはギリギリ混合気団の縁にいることを示していた。
飛行中に数度のスコールに遭い、気温は突然14℃になった。しかし、まだ北の寒気団と南の暖気団のはっきりした接触域に入ったわけではなかった。まだやって来たわけではないが、我々はもうその対応に巻き込まれていた。
午後2時過ぎ、大変険悪な雨雲の大きな帯が飛行船の前に現れた。とうとう来た。
飛行船は激しい下向きの気流に伴う上昇気団の上向きの力で押し上げられた。このような場合に、飛行船が大きな上昇気流に逆らうことは意味がなく、単に船体に過大な力が掛かるにすぎないので、気団に任せておく方が良いことを学んでいた。それで私は船体に掛かる力を軽減させるために速度を落とした。この対応の結果、飛行船は揺れることもなく比較的安定していた。
遊園地でスイッチバックに乗っているようなもので、飛行機が驟雨前線に飛び込んだときのような不快な衝撃や、突然持ち上げられて落とされるような衝撃はなかった。飛行船の長くて大きい船体がその衝撃を防いでいた。
この最後のスコールの波状攻撃で、霰まじりの暴風雨が飛行船に叩きつけ、騒動は飛行船の運動よりももっと激しくなった。しかし、部外者から見れば、雨雲の中でしか経験できないスコール中の大気状態の類い希なデモンストレーションであった。
ほんの2~3分後、反対側に出て気温が16℃まで上がっているのに気がついた。風は南西に変わっており、相変わらず秒速15mの強風であった。光景がすっかり変わっていた。空はきれいに晴れ上がっており、輝く青空の下を航行していた。低気圧域の遠い端にいた。いまは、前夜あれほど良さそうに見えた天気図に標示されていた高気圧域を安定して飛べるようになると喜んだ。
我々全員がニューファンドランド南東端のレース岬から午前中ずっと「天候:快晴、南東の風」という天気予報の通りに望みが叶うことを確信していた。それはニューファンドランドの南岸には嵐を呼ぶ風はないということを意味していた。それで青い海の上を気分良く、南西の風にも助けられて80ノット以上出して飛んでいた。
しかし、思うようにはならなかった。午後4時に、北緯43度、西経56度の辺りで霧に入った。こんな状態はニューファンドランドのずっと南ではよくあることであった。最初、霧は200~300mの高度で、密な雲の天井のように横たわり、その下を飛ぶことが出来た。やがて、霧は海面にまで降り、飛行船はその上に昇った。
その後急速に高く高く昇り、午後4時半には700mに達し、程なく900mになった。もうこれ以上上昇したくなかった。この高度ではガスを放出し始めており、これから大海を渡り始めるときにガスの放出で飛行船を重くしたくなかったのである。
それで濃い霧の中に入った。その直前の4時頃の観測では、風速15mの風が南から吹き、6時にはレース岬の270km南で霧から抜けた。霧の中を航行しているあいだ、当然ながら何処を飛んでいるのか判らなかった。
それは面白くなかったので辛抱強く海か空が見えるのを待っていた。この「盲目飛行」ではニューファンドランドの低い山岳より充分高いところを飛んでいたし、その山岳は270~370km以上北にあったと推定されたので全然危険ではなかった。
しかし、動揺もなく静かに1時間 霧の中を航行していたとき「グラーフ・ツェッペリン」は、突然ピッチング・ローリングを始めた。この動揺は継続するばかりでなく、さらに激しくなった。飛行船は揺られて継ぎ手が軋んだのでエンジン出力を絞り、半速に減速した。飛行船の動揺は続き、だんだんひどくなって経験したことのないほどになり、何処まで耐えられるかと狼狽した。
何が起きたのだろう?何がどうなったのだろう?明らかに、ひどく荒れた嵐に突入していたが、このひどいピッチングを、どう表現すれば良いのか判らない。