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LZ120:ボーデンゼーおよびLZ121ノルトシュテルン

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Vorwort

まえがき


ツェッペリン飛行船の前/黎明史は、1910年から1914年(DELAG時代)の時期および、その後の「第一次大戦における軍用飛行船」の時代と同様に、多くの刊行物で論じられている。
また、大陸間飛行船運航の栄光の時代(例えば、賠償飛行船LZ126の建造に始まり、それが1924年にアメリカに移送するまで)は、概要の紹介やその研究報告で頻繁に文書化されている。

それに対して、1919年から1924年までの期間については殆ど文献がなく、その記述も非常に短く(しかも、残念なことにしばしばとても不正確に)取り扱われている。
さらにこの時代には、ヴェルサイユ条約とその施行という暗い影が迫るなか、飛行船航行における全く純粋で、完全に計画的、企業的な活動のなかで、ある素晴らしいことが起こった。

文献の中では、「小型旅客用飛行船」であるLZ120ボーデンゼーについては充分に言及されており、1919年の偉大な業績と、後のイタリア移送についても同様に報告されてはいるものの、その後については「その航跡は消えてしまった」というとても曖昧な記述に留まっている。そのため、ツェッペリン飛行船の歴史にとって、ボーデンゼーと、その姉妹船ノルトシュテルンについての研究、ならびに政治的、経済的分野への影響について書いておくことは重要であると思われる。-それだけ一層、LZ120のまれに見る特性の数々を明らかにしておく必要がある。

本書の著述で、困難な時期のドイツ飛行船運航、なかでも「小型旅客用飛行船」への関心を喚起し、それを持続させ続けることが出来ればと思っている。

本著の大部分は、当然ながらフリードリッヒスハーフェンにあるツェッペリン飛行船製造社の公刊物を基底としており、原稿作成時に私に助言し、特に精力的に支援してくれたマンフレート A.ザウター氏と、ハイケ・フォーゲル女史に心からの感謝を申し上げたい。
以下の各機関にも、資料の提供に感謝する。
ヴィグナ・ディ・ヴァレ軍事航空歴史博物館(オヴィディオ・フェランテ大佐)の「ウンベルト・ノビレ文書」(ノビレ女史)、ロルクのヘルマン E.ジーガー社(エリーザベト・ジーガー=ドレックスラー女史)、ハンブルクの海軍飛行船戦友会(クルト・プツィッチャ氏)、チューリヒのETH図書館の科学歴史コレクション(ビート・グラウス博士)、およびローマのマッジョーレ州航空科学館(G.フォーチュナ大佐)。
また、以下の各位の熱心な討議、面談や文書による重要な貢献と、個人的な温かい心配りに感謝している。
ゲートルード・ノビレ博士(ウンベルト・ノビレ未亡人)、故アルバート・ザムト船長、ハインリヒ・フーバー=リビ氏、ダグラス H.ロビンソン博士、およびヴェーナー・シュイップス氏の各位。
有り難いことにヴォルフガング・フォン・ツェッペリン氏、エルンスト・シャフハウザー氏、H.シュプレンガー博士に更なる情報で支援して戴いた。
親愛なるグルドン女史、カミラ・ヴルフ女史、およびフォルカー・ラング氏、ウルリヒ・シュレヒト、パウル・ヴィダー両氏の原稿についての助言 - また特にマチルデ・ガーシュテル=ボンマサー女史にはイタリア語からの翻訳に対して感謝を捧げる。
終わりに、情報提供、批評と助言ならびに「ツェッペリン飛行船史論」の出版を可能にして下さった編集者ヴォルフガング・マイクヘイナー=シャルト博士に上記各位に劣らない感謝を捧げる次第である。

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