半世紀前ペイヤーが主要な諸島を正確に描いて地図を製作したことに驚きつつ、これを確認した。しかし、その後の探検で見過ごせない不正確さと間違いがこの地域の地図作成上の事項として残されていた。半島が独立した島のように描かれていたり、その逆であったりしていた。多くの島が表示されて居なかったり、大きな島の形が相当に歪められたりしていた。これらの全てを我々の写真機で記録し、帰港後正確に検証された。
この調査飛行で地理学のリーダーであるザモイロヴィッチ教授は、それら群島のさらに正確な地図を用意していたものと思っている。
東西方向に250マイル、南におよそ120マイルにわたって広がるその諸島の主要部分を航行していたときのことである。南西端のはじで、小さな汽船に乗った小規模なノルウェーの探検隊に遭遇し挨拶を交わしたが、そのとき彼らの方から短い無線通信を送ってきたが、それが氷壁に当たって多くのエコーを生じていた。
徐々にフリゲリ岬に近づいた。ナンセンが生前1ヶ月も海氷をさまよったあとで冬を越すために小さな島に上陸したところである。我々はフローラ岬上空に到達する2~3時間前であったが、ナンセンはその後最初に人に会うまで半年かかっている。
(工事中)
(註:写真はザムト著「ツェッペリンに捧げた我が人生」に掲載の北極探検飛行中のグラーフ・ツェッペリン船内。
眼鏡をかけて振り向いているのがザモイロヴィッチ教授)