LZ127Profile

陸を越え、海を越え

B105

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

南米航路(10)

セントビンセント岬に行く途中で、美しいポルトガルの首都を少し遠くから通過し、そこで進路を東にとってコロンブス像が挨拶してくれたフェブラに帰ってきた。この素晴らしい大飛行を祝福してくれるように見えた。

そこからカジスに行き、セヴィリアに帰り着き、4時に到着した。そこには非常に沢山の群衆と最高級の高官達が我々を待ちきれない風情で待っていた。市長の短いながら熱烈な挨拶があり、夕方開催される歓迎会に招待された。

しかし、それを謝辞した。というのも天気が非常に悪く、とても飛行船を短い繋留マストに繋いだまま夜中じゅう飛行船を離れることが出来そうになかったのである。

着陸して20分後、再び浮き上がり母港に向かった。

このことに関してつけ加えるならば、3週間のあいだ片時も途切れることのない緊張が続き、疲れていたので飛行船に関するあらゆることから解放されて、自分の寝室で眠ることを強く望んでいたのである。

スペイン南部の天気は非常に悪かった。強い南東の風が毎時22~27マイルも吹き荒れ、シエラ・ネバダとシエラ・モレナの山脈は低い雲に覆われていた。

それで、陸上の山岳地帯を越えれば最短距離にあたるバレンシアの方に舵を取らず、グァダルキルビル川を下って海に出て、再度ジブラルタル海峡を通って航行した。

強い南からの風雨を正面に受けながらゆっくりと海に向かい、日暮れに海峡に出た。それから、状態は少し持ち直したので順調に地中海を飛ぶことが出来た。

午前10時頃マルセイユからローヌ渓谷に入り、昼前後にはリヨン上空に到達し、4~5時間後の母港への着陸準備に掛かった。

しかし、そのとき非常に危険な状態に遭遇した。ずっと後年になって思い返しても恐ろしい、すんでのところで飛行船と乗り合わせた全員が生命にかかわるほど致命的な状況であった。

通信士は強い乱流と放電を報告してきていたが、リヨンからほど近いところで見たところ全く無害に見える点在する雲の中に入った。

間違いなく雷雲がソーヌ渓谷に横たわっていたが、左右は高い山の間に限定されており、発達しそうに見えなかったので、盲目飛行でその雲に入った。ただ飛び続けるだけで何もすることなく、旋回してひたすら天候の回復を待った。

しかし、どのくらいこの山中に留まれるのだろう?

それで、ソーヌを横切って、それまでに形成され今も成長を続けているよく判らない大きな雲に突入した。とてつもないことをしたもので、私が許可したのであるがそれは馬鹿げたことであった。

周りの空気はまもなく乱れて不安定になり、飛行船はピッチングと上下動を始めた。しかし、その前兆は経験済みのことであり警戒するほどのことではなかった。

おまけに、船体の近く あるいは船体そのものに繰り返し発生する放電現象は異常といえる程ではなかった。

南米航路(11)

陸を越え、海を越えのはじめに戻る

トップページに戻る