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陸を越え、海を越え

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Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

南米航路(7)

ドロミテの高い山からの展望は魅力的で壮大ではあるが、ここからは湾の青い海水が景色の中にとりこまれて、その素晴らしさを倍増させていた。そして大きくて美しいリオの市街が周りの谷や河口にまで延び、産業と人間の営みによって完成された快適な印象を醸し出していた。

リオには、僅か1時間しか滞在できなかった。太陽が昇るにしたがって急速にガスを暖めるので飛行船が軽くなりすぎ、この状態に対応できないのでバラスト水で地表に繋ぎ止めておくことが出来なかったのである。

通常の挨拶を交わした後、ペルナンブコの繋留柱に戻るために再び空中に浮揚した。

帰りは、激しい向かい風に対抗して飛んだ往路よりもかなり早くなると予測した人も居たと思う。しかし、そうは行かなかった。

大気の擾乱はその間に北に変わり、こんどは飛行距離の半分以上は北東ないし北よりの風に妨げられることになった。しかしながら、飛行船が低気圧域に追いつくと再び南東の風になった。いかに低気圧域がゆっくり移動するかを示す好例であり、飛行機がある条件下で速く飛ぶためにこれを利用するということが判る。

翌朝8時に、ふたたびペルナンブコの繋留柱に繋ぎ、そこに2日間留まった。ここからレークハーストまでの飛行の準備をするためである。

この時間を利用して、この発着場をさらに使いやすくするための計測や配置について当局と打ち合わせを行った。特に、ガス発生装置を建設せねばならず、風が変わったときにも飛行船の後部ゴンドラが追従して回れるように、繋留柱のまわりに円周状にコンクリートを打つことが必要であった。

発着場と街との連絡も、入り口まで電車路線を敷設したので便利になった。だが、これらの改良には費用が掛かったが、私は誠意を持ってこれを了承した。レシフェは、リオが最終的に飛行船格納庫を建設することを決定するまでの数年間は、飛行船の主たる基地になるはずだったからである。

その当時のレシフェの施設は充分とは言えなかったが、2日の間にグラーフ・ツェッペリンは燃料を充分補給し、5月28日の午前11時に帰途に就いた。レークハーストに向かうのである。

先に、前年実施された「世界周航」で、合衆国に圧倒的な印象を与えたと述べた。そのときは温帯域をめぐって地球を一周し、様々な気象条件に遭ったが、それに打ち勝ってきた。今度の飛行は熱帯の暴風雨を乗り越えなくてはならない。わたしはそのとき、既に翌年の極地飛行を計画しており、その意味からもこの地域での飛行船の可能性を試す必要があった。

サンロケ岬に向かう海岸に沿って飛び、素晴らしい天候と多彩で美しい沿岸の光景を楽しんだ。

リオ・グランデ・ノルテの首府ナタール上空で旋回し、この国で生まれてここに眠っている飛行船の先駆者、サントス・デュモンに敬意を表して花束を投下した。

そこからバルバドスに針路を決め、青く霞む景色を後にした。

そのとき、強い驟雨に遭遇した。おそらく4日前にレシフェとリオの間で出遭った北に移動中であった擾乱が、はるか北のここまで来たのだと思った。

もし、天気が良ければキューバに向かい、そこで短時間の着陸をしようと考えていた。しかし、その望みは諦めざるを得なかった。途中で我々が予め着陸できるかどうかを問い合わせていた権威筋から、無線によって着陸に賛成できないと緊急報告があった。カナダからの冷気団がカリブ海になだれ込んでおり、それが猛烈に激しい雷雨と驟雨をもたらしていた。擾乱はキューバ上空で特に激しかった。

それで、ひじょうに興味のあるキューバへの訪問を取りやめ、直接レークハーストに向かうことにした。

南米航路(8)

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