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陸を越え、海を越え

Weltfahrt1929

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

世界周航(3)

この世界一周飛行の出発点はフリードリッヒスハーフェンではなくレークハーストであった。

これは次のような経緯で決まった。この飛行はハースト氏との合意で実現可能になったのであるが、そのランドルフ・ハースト氏は資金提供の条件として、世界一周飛行はレークハーストを起点とし、終点とすることを主張していた。それは、この飛行をハースト氏の企業としてではなくアメリカ人としての事業として位置付ける意図であった。

この条件は最初、何か同意できないように思えたが、さらに考えてそれほど共感出来ないものではないように感じた。始めに、エンジンに関しては地球を一周する飛行に飛び立つ前に、クラッチや振動問題に関して、完全にオーバーホールしてレークハーストまで渡洋飛行することは意味のあることである。第二に、私のこれまで努力してきたツェッペリン飛行を通じてアメリカとの良好な関係と協力に矛盾するものではない。アメリカがドイツのツェッペリンのアイデアを、おおっぴらに独り占めする方が良かったのであろうか?

こうして、2つの世界周航が1つになったのである。アメリカ人はレークハーストからレークハーストまでの飛行と考えれば良いし、ドイツ人はフリードリッヒスハーフェンからフリードリッヒスハーフェンまでの飛行と考えればよい。

のちにアメリカ人は「アメリカの飛行」が12時間短い記録になったことにとても満足していた。というのも、最初のレークハーストからフリードリッヒスハーフェンまでの飛行が「ドイツの飛行」の終わりに当たる最終区間の飛行時間より12時間短かったからである。

このように「哲学者」にとって、うまくまとめられた計画は笑顔で終わることが出来た。

笑いは健康の良薬である。

レークハーストへの飛行は1929年8月1日に出発した。

その飛行は暴風のような西風を向かい風に受けたために95時間を要した。これはエンジンのテストにはお誂え向きで、その性能を発揮してくれた。

レークハーストには、ハースト新聞社の広告のために飛行船に乗ってみたいという夥しい数の希望者が待ちかまえていた。1万人におよぶ見物の群衆の前で、8月7日の夕方近く世界周航に旅立った。

百万もの人を魅了する灯りの輝くニューヨークの上空でさよならの挨拶に旋回した。それから神秘的で静かな闇の中に飲み込まれていった。

船上ではワインが振る舞われ、就寝前に快適な小さいキャビンで旅の成功を祈って皆で飲んだ。しかし、殆ど夜通し聞こえてくる記者のタイプライターのカタカタという音が何日も耳に残っていた。なぜこんな我慢をしなければならないのだろう?

大西洋横断はことさら驚くことはなかった。航海士とパイロットはなお常に復習を怠らなかった。

最初に遭遇した不安定な風と天候は乱流と同様ニューファンドランドの南にあった。そこから幾分南に行くと、南方に大規模な低気圧域があり、ニューファンドランドの東から英国海峡までの全域に広がっていた。船尾から飛行船を前に押しやる追い風となった。眼の下では進行方向に泡立つ波が走っていた。そして45時間もしないうちに英国海峡の入り口に来ており、中央ヨーロッパ時間で真夜中前後にフランス沿岸上空にいた。

そのとき、2人の乗客がシャンペングラスを持ってお祝いに操縦室に入ってきた。私の誕生日の始まりで、私はそれを忘れていた!私の生涯における新しい年の初めをこの重要な仕事の最中に迎えたのである。

払暁にパリ上空を横切り、市場を覆い尽くした沢山の荷台や車を興味深く見下ろした。パリの人々は豊かに食事を楽しむのだ。

正午少し前、55時間の飛行を終えてフリードリッヒスハーフェンに着いた。

世界周航(4)

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