LZ127Profile

陸を越え、海を越え

LZ127ceremony

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(7)

なんとか講演活動に成功し、再び国民のツェッペリンに対する情熱を引き出すことが出来、国を挙げて協力する準備が整った。しかしほどなく、私と協力者が精一杯頑張って講演活動を行っても、新しい飛行船を建造するに必要な資金を集めるのは困難であると判った。大西洋を安全に定期運航する、充分に積載能力のある新造飛行船建造に必要な資金はおよそ500万マルク必要であった。この事業を始めるにあたって「ヒンデンブルク」のような、真の意味で高能率な飛行船を建造することは諦めねばならなかった。

しかし、ツェッペリン・エッケナー義捐金の講演活動で緊急に必要な資金を集めるよりほかに施策はなかった。最終的に「ツェッペリン・エッケナー義捐金」によって、新造飛行船建造のために約250万マルク集めることが出来、建造を開始することが出来た。最終的に政府が、その飛行船を完成させるために100万マルクを拠出してくれた。

その飛行船の計画にあたって沢山の要求事項を充たさなければならなかった。それは大陸間を郵便物、航空貨物、渡航客を載せて運航できる最初の航空機であった。それは、単に飛ぶだけではなく航海できる飛行船でなければならなかった。

そのためにガス容量は「LZ126:ZRⅢ」の7万立方mではなく、10万5千立方mで、長さは236m、最大直径は30.5mとして計画された。最大出力530馬力のエンジン5基を装備し、時速128~130kmで計画された。

長いゴンドラが船首に取り付けられ、その中に操縦室、航海室、無線室それに必要にして充分な調理室、その後には広いラウンジ兼ダイニング、ツインのステートルームが10室配置される。

旅客を輸送するには必要最小限の船内配置であったが、大きな飛行船を建造するだけの資金はなかったのである。その飛行船は大西洋を安全に商用渡航できる最小限度の寸法であった。

経済的にも空力学的にも満足できる飛行船「ヒンデンブルク」の建造に取りかかるのは8年近く後のことであるが、それはほぼ倍の大きさであった。

しかしこの制約された寸法にも好都合な点があった。実を言うと、ツェッペリンは如何なる天候でも運航できることを納得して貰わなければならず、そのための海洋上空でどうなるかという経験が不足していた。それで「グラーフ・ツェッペリン」は飛行船に限らず、洋上を飛ぶあらゆる種類の航空機にとって、航路啓開の練習船となったのである。航空の幼児期には特に必要なことであった。

7月はじめに、飛行船はほぼ出来上がり、老伯爵の誕生日である7月8日に、伯爵の一人娘であるブランデンシュタイン・ツェッペリン伯爵夫人によって「グラーフ・ツェッペリン」と命名された。私はこの船名を、飛行船の価値とそれを建造する意義にかかわる決断を下し、この飛行船の運命を決定した人物にちなんで選んだ。結果は、勝利と名声を勝ち得るか、欠陥のために消えてゆくかのいずれかである。

その後、短い試験飛行が実施され、あらゆる観点から見て充分満足できるものであった。有効揚力は予測より幾分高めであり、操縦性は良好で、エンジン全開で約130キロの時速は期待通りであった。

船体構造には小さな欠陥も見あたらなかった。こうして、行く手に確信を持って「グラーフ・ツェッペリン」が大洋を最初に横断する飛行を待ち望んだ。

10月12日、アメリカ発見の日、コロンブスデーがその日に予定された。

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(1)

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