LZ127Profile

ツェッペリン伯爵とエッケナー博士との出会い

LZ1inHalle

1900年10月17日、マンツェル沖

エッケナー博士が初めてツェッペリン飛行船を見たのは1900年秋のことであった。伯爵の硬式飛行船「LZ1」の第2回目の飛行である。
7月2日の夕刻、第1回の飛行でツェッペリン伯爵を含め5人の乗った「LZ1」は高度300m程度まで上昇したと言われるが舵の効きが悪く、その上 鋼線で吊った重錘を前後に移動させる姿勢制御機構が故障して18分間飛翔したあと再度格納庫に収容された。

その後修復したあとの第2回飛行は10月17日に行われることになり、時々原稿を送っていたフランクフルター・ツァイトゥンク紙からの打診に応じて当時32歳のエッケナー博士が見学に行ったのである。

この第2回目の試験試行は3回行われた実験のうちで最も長く1時間以上飛行し、博士のレポートは同紙に掲載された。金属のフレームで構成された飛行船は確かに浮揚し操縦可能ではあったが16馬力のエンジン2基では出力不足で平穏な風で時速20~25kmでは遅すぎるという主旨であった。

「LZ1」は10月21日に行われた第3回飛行のあと解体され、この実験のために設立された会社も解散されたが、伯爵は殆ど自己資金で再度ほぼ同規模の水上格納庫を作り「LZ2」を建造した。「LZ2」は1905年の秋に完成し11月30日に試験飛行をしようとしたが格納庫から引き出す際に前部調整装置が折れ、苦心の末何とか格納庫に再収容された。1906年1月17日に改めて試験飛行が行われたが、これが「LZ2」の最初で最後の飛行となった。

浮揚したものの強い西風で制御できないまま約30km離れたアルゴイのワンゲンに不時着してしまった。博士は車で不時着地点に急ぎ、そこで伯爵が冷静に残骸の後片付けを指図している姿を目撃した。飛行船が飛行中に姿勢を制御する垂直安定板が問題であることを指摘して、その状況をフランクフルター・ツァイトゥンクに掲載した。

それから2~3週間後、モーニング姿でシルクハットと黄色い手袋を持った伯爵が博士宅の扉鈴を押したのである。これが伯爵と博士の最初の出会いであった。

(工事中)

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