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LZ129:ヒンデンブルク

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(航行中のLZ129「ヒンデンブルク」:1936年3月、同書P6)

Barbara Waibel著 LZ 129 HINDENBURG

まえがき

「ヒンデンブルク」と言えば多くの人が、1937年5月にアメリカのレークハーストで起きた大事故のことを思い出すことであろう。炎上する「ヒンデンブルク」の写真は、20世紀で最もよく知られた記録写真として知られている。その劇的な出来事は今日まで、多くの小説や映画のモチーフとして扱われてきた。追跡するカメラの前で炎上する飛行船の姿は、未だに解明されていない火災の原因と同様に、そうした傾向に拍車をかけてきた。しかし、この飛行船歴史には、この火災や黒煙よりもはるかに多くの伝えるべきことがある。それは語られるに値する歴史である。本書は、フリードリッヒスハーフェンのツェッペリン飛行船製造有限会社の資料/アーカイブに遺されている多くの写真に基づいて、技術史における一つの魅力的な開発の全史を記述したものである。

LZ129「ヒンデンブルク」は、それまでに建造された最大の航空機であったばかりでなく、当時大西洋を横断する旅行手段として最も速く、最も豪華なものであった。同時にツェッペリン飛行船とともに硬式飛行船の建造はその絶頂期に達した。「ヒンデンブルク」が南北アメリカの定期運航を開始したとき、飛行船による大西洋横断という、長い間待ち望まれていた夢が、経済的運用のための条件となる次元についに達したのである。LZ127「グラーフ・ツェッペリン」がフリードリッヒスへーフェンの工場から再び飛び立つことができるようになるまでに8年が経過した。LZ129の建造が世界的恐慌を背景に行われたことが遅延の原因の一つとなった。もう一つの原因は、徹底的に技術的設計の変更が行われたことである。

国家社会主義者(ナチ)が権力を掌握すると、空の巨人の唯一無二のプロパガンダ効果に目をつけた褐色の権力者により、飛行船が吸収されることとなった。彼らは、LZ129の建造中に生じた資金不足を保証し、同時に飛行船の運航を行う新しい航空運輸会社を国家の関与により創設させた。そうして「ヒンデンブルク」は、1936年に数回にわたるプロパガンダ航行に従事させられた。また国家社会主義政府は、定期運航の際にも、人目を惹く飛行船の大きな尾翼に「第三帝国」の象徴を世界に示すことが重要であると考えた。

有名な飛行船船長であり、ツェッペリン・コンツェルンの経営者であったフーゴー・エッケナーは「ヒンデンブルク」型飛行船により、世界的飛行船運航会社を展開しようと計画していた。「ヒンデンブルク」の炎上、新造飛行船へのヘリウム引渡に関する合衆国との交渉の失敗、そして最終的に第二次世界大戦の開戦により、この夢は終焉に帰した。ツェッペリンの偉大な時代は、こうして歴史上の物語に終わってしまった。にもかかわらず、その時代は今日でもなお尽きることのない魅力を放ち続けている。本書が、その素晴らしさを伝えることが出来たなら望外の喜びである。

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