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ツェッペリン世界周航(タバコカードアルバム:第1集)

Zeppelin_Weltfahrten
(表紙)

ZEPPELIN-WELTFAHRTEN


大戦前の飛行船(その3)

伯爵がその目標のすぐ傍まで迫っていたとき、すべてを無に帰する打撃であった。彼の友人たちも、もう彼の事業もこれまでと思った。
しかしいまや、ツェッペリン伯爵は、自らの事業に対する粘り強い不撓不屈の忍耐力を示して闘いに立ちむかい、そのことにより一個の人間として国民の心を揺さぶった。
2、3週間のうちにエヒターディンゲンの義捐金の合計は6百万マルクに達し、それにより大きく確実な基盤として事業を継続することが可能となった。

ツェッペリン飛行船が勝利を飾った、歴史的に注目すべき航行には、改造後の「LZ3」の1909年4月1日に実施されたミュンヘンに向けての航行、新造の「LZ5」が同じ年の聖霊降臨祭の月曜日に行ったビターフェルトまでの長時間にわたる北ドイツ航行が挙げられる。

このとき「LZ5」は奇妙な事故に見舞われ、ツェッペリン飛行船の栄光のページにささやかな記録を留めている。
1100キロメートルにも及ぶ38時間もの航行からの復航で、ゲッピンゲンに着地することを余儀なくされた。
そこで飛行船は操舵の操作ミスで梨の木に当たり、大きく損傷した。

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[第13図:ゲッピンゲン近傍のLZ5、1909年]

第13図に着地して船首部を圧壊した様子が示されている。しかし、どっこい救難されたのである。

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[第14図:ゲッピンゲン近傍のLZ5、1909年]

大急ぎで、ホップの支柱で応急の新しい先端が作られて(第14図)、その飛行船は運良く事故なしに母港に到達した。
この飛行船はまた、「ILA」に短期間展示されたあと、「ZⅡ」として陸軍に納入された。そして、ヴァイルブルクで1910年に墜落した(第15図)。

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[第15図:ヴァイルブルク近傍の陸軍飛行船ZⅡ、1910年]

ツェッペリン伯爵が「ツェッペリン飛行船支援財団」を設立した国民からの義捐金6百万マルクのうち、まず3百万マルクが工場建設に充てられ、「ツェッペリン飛行船製造有限会社」という名が付けられた。その名称は今日まで存続している。

マンツェル近傍の設備は、のちに暫定的にDelag飛行船として使用され、1910年秋にバーデン・オースの格納庫火災で損傷し廃棄されることとなった「LZ6」の建造後、手放されフリードリッヒスハーフェンのすぐ傍に新しい工場設備が建設された。

この設備は、技術的に必要なすべての対策が講じられ、その発展に大きく寄与するはずであった。
しかし、軍事当局から期待していた量の受注を受けることは出来なかった。

それにも関わらず、フリードリッヒスハーフェンのこの新しい工場を継続させるために、3百万マルクの資本金でフランクフルトaMに「Delag」、すなわち「ドイツ飛行船運航株式会社」が設立された。ドイツの大都市間で飛行船の運航を行うためである。

多くの都市は、この企画のために資金調達が出来ていた。こうして世界最初の飛行船による旅客運送会社が設立された。

Delagの技術担当役員としてフーゴー・エッケナー博士が起用された。彼の偉大な功績は、この航行の際にかつての、よりスポーツ的かつ感覚的な航行に代わって、厳格な学術的物理的原理に基づいた航行術を確立したことである。

すでに述べたように、1910年には、差しあたりマンツェルで最後に建造された「LZ6」を旅客用飛行船として使用しなければならなかった。

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[第16図:建造中のLZ6、1909年]

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[第17図:格納庫へ搬入中のLZ6]

第16図は、建造中の同船である。船体骨組みを固定格納庫から水上格納庫へ移送しているところであり、第17図は試験飛行のあと、格納庫に収納される状況である。

「LZ6」は、長さ144メートル、直径13メートル、ガス容量16000立方メートルで、動力設備として、それぞれ出力115馬力の2基のダイムラーエンジンと、145馬力のマイバッハエンジン1基を搭載していた。

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[第18図:LZ6向け115馬力ダイムラー飛行船用エンジン]

類似の形式(但し、はずみ車なし)は1914年当時、まだ軍用に用いられていた。1900~1914年のあいだに、一連のDelag飛行船があちらこちらに出現した。例を挙げるならば、デュッセルドルフ、バーデン・オース、フランクフルトaM、ハンブルク、ドレスデンなどである。

1910年6月中旬、最初のDelag飛行船である建造番号「LZ7」が完成した。それは「ドイチュラント」と命名された。
ツェッペリン伯爵が自身で指揮を執り、6月19日にデュッセルドルフまで9時間の航行を行った。

それは「LZ6」に技術的改良を施した飛行船であり、ガス容量19300立方メートル、長さ148メートル、直径14メートルで、原動機としてそれぞれ120馬力のダイムラーエンジンを3基搭載していた。

「ドイチュラント」という誇り高い名前は、この飛行船に期待された業績への希望と確信を具現しており、その卓越した移送航行はさらなる成功を約束するものであった。

それだけに、予想外の暗転は悲劇的であった。
2度目の旅客運航で、報道関係者を乗せた美しい飛行船はトイトブルクの森に不時着したのである。

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