1957年 秋
クヌート・エッケナーはフーゴー・エッケナー博士の子息である。「グラーフ・ツェッペリン」には舵手の1人として乗船していた。彼が26歳のときのことである。
最初の訪米飛行で尾翼が破損したとき、クヌートは操舵手仲間のラドヴィック、ザムト、それにガス嚢主任とともに志願して、飛行中の「グラーフ・ツェッペリン」の外被の外に出て命がけの修復作業に従事している。
世界周航にも舵手として乗務していた。
LZ129「ヒンデンブルク」の建造時には建造/組立現場で担当技師を務め、その後は飛行船建造・組立・搭載だけではなく、外注製品の検収についても責任を負っていた。
彼は父親フーゴー・エッケナーを誇りとしていたが、とてもシャイな若者であったようである。
このメモは父の書に寄稿したものである。