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最初の訪米飛行(1928年10月11日~11月1日)

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帰航第1・第2日目(10月29~30日)

沢山の招待が押し寄せて来たが、そのなかに非常に熱心に中西部へグラーフ・ツェッペリンで来て欲しいという招待があった。
エッケナー博士は度重なる要請にとうとう、船尾の補修が終わったあとで、もし可能ならば中西部に飛行すると約束した。
すると、直ぐに何十人もの人が乗客として乗りたいと押しかけてくるし、新聞は西部の大都市はすべて飛行船の来訪を熱望していると掲載される始末であった。

しかし、船尾の修理は予想以上に日時を要し、2週間以上掛かってしまい、10月も残り少なくなってきた。
天候の予測は非常に難しく、これ以上遅くなると気象条件は悪くなるおそれもあり、突然中西部への飛行をキャンセルして10月28日の夕刻、帰途につくことにした。

その日の昼間、エッケナー博士はニューヨークとロングアイランドの間をモーターボートで渡ってロングアイランドの邸宅に友人を訪ねているが、その途中で冷たい北風を受け帰りは車で帰っている。
だんだん状態は悪くなっていた。格納庫の中で、郵便物と貨物が積み込まれ、乗客と乗員は飛行船のまわりで乗り込みを待っていた。

しかし、毎秒8~10m程度の風が格納庫を吹き抜け、飛行船を引き出すことが出来なかった。
午後8時に予定していた出発を深夜まで延期した。
群衆の多くは諦めて帰途についたが、2~300人の人達は深夜にも関わらず帰ろうとしなかった。

担当の気象予報士が大西洋上は順調なようだと天気図を持ってきた。
ただ、ニューファンドランドと、その南の海上から気象情報を送ってきた汽船がたった1隻であったことはちょっと気になるとことであった。

深夜になっても風はおさまらず、むしろひどくなってきた。
2~30名の記者は新聞社に電話するなどして待っていた。

ツェッペリン飛行船製造社が監修したタバコカードアルバムによれば、レークハーストからフリードリッヒスハーフェンまで23名の乗客と800kgの貨物を載せたと記載されているが、エッケナー博士は著書の中でこの区間の乗客は25名と書いている。何れにしても乗客定員20名の飛行船に定員以上の乗客を乗せたことは事実のようである。

午前1時頃になって風が和らいで来たので、急いで乗客を乗せて格納庫から曳き出し、午前2時に浮揚してニューヨーク上空に向かった。

秒速17mの北西の風をついてゆっくり北に向かい、午前3時に市街地の上空を通った。
エッケナー博士は無限に続く光りの海に、ここ新世界では照明にコストが掛からないのかと驚いている。

ボストンまで続く光りの中で、港湾の汽船が警笛やサイレンで送り出した。
乗客はとても喜んで見下ろしていたという。

その後、夜明けまで澄み切って星が瞬いていたが、飛行船と同じくらいの冷たい風が吹いていた。朝になって曇り始め、正面の水平線に厚い雲が現れた。
昼になると強烈な驟雨前線が飛行船のすぐ横に現れたと思うと、突然風が強くなりひどい乱気流になった。
飛行船は黒雲に飛び込んだが、激しく揺すり上げられた。エッケナー博士は、しばしば100m程度持ち上げられたと記述している。

しかし、そのときは比較的順調で、飛行船は操舵手の操作に順応していた。
この空域を航行している間に、気温は6℃も上がった。これはバーミューダまで広がった低気圧とガルフストリームの暖気団の境界付近にいたためであろうと博士は述懐している。

そうしているうちに、気温は突然14℃になった。そして午後2時過ぎ、大きく黒い雨雲がついに現れ飛行船は上昇気団に乗せられて押し上げられた。飛行船の船体が大きいので上下動はゆっくりしたものであったが、そのうち霰まじりの暴風雨が叩きつけた。

しかし、2~3分でその雨雲を突き抜けると青空で、気温は16℃になっていた。
風は南西に変わっていたが秒速15mの強風であった。ニューファンドランド南東端のレース岬から「天候:快晴、南東の風」という天気予報の通りになった。
追い風にも助けられて時速150kmくらいにはなっていたという。

しかし、午後4時に北緯43度、西経56度あたりで霧に入った。
最初、霧は高度2~300m程度であったので、その下を飛んでいたが、霧が海面まで下がってきたのでその上に昇った。午後4時半には高度700mに達し、やがて900mになった。この高度では自動調整弁から浮揚ガスを放出しはじめていた。
まだ先が長いので、ガスを減らさないように濃い霧の中に入って飛び、6時頃にはレース岬270km南で霧から抜けた。

現在位置が判らないまま、また霧の中を飛んでいたが、ニューファンドランドの山岳はずっと北の筈であり、高度も充分に取っていたので心配はなかった。
しかし、1時間も霧の中を航行しているとき、突然ピッチング・ローリングを始めた。エンジンを絞って半速にしたが動揺はますますひどくなってきた。

推定位置はニューファンドランド山岳地帯上空のはずで、激しい嵐はその山で阻止されると思われるし、午後4時にレース岬から快晴の天気予報を受信してから3時間も経っていないのに飛行船の構造が耐えられる限界ギリギリの動揺が続いていた。

    (工事中)

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