我々はベルリンへ針路をとった。ドイツの国土は美しい!
街々は何と整然と区画され、村々は何と入念に手入れが行き届いていることか。
近くには地平線を東から西へ、暗くあるいは明るく鉄道路線が延びている。
我々は、たとえ何処に着陸したとしても次の駅まで夏の散歩を楽しむことが出来たであろう。もしロシアでそんな緊急事態が生じたら、おそらく500キロメートルも行進しなくてはならないだろう。しかし、我々はそんなことは全然考えなかった。降下しようなどとは全く思わなかった。我々は昼も夜も前進するのみである。
9時過ぎにライプチヒの大きな扇状地に来た。アウグストゥス広場のあたりで、最初の小さな高層ビルが待ち受けていた。駅舎の堂々とした建物が見え、コネヴィツァーの森は輝き、プライセ川は細い銀色の血脈のようにキラキラ光っている。
およそ半時間でヴィッテンベルク、そこからポツダムは遠くない。
あらゆる観光名所が一度に見えてきた。サンスーシの宮殿、温室、橋、孔雀島、湖、それにモーターボートやヨットの繋留施設も見える。数百の繋留されているボートがとても美しい。青い水面に揺れる明るい色のアメンボの様だ。
高速道路の上空を通過してベルリンに向かう。外国人は吃驚するに違いない。我々のベルリンである!
大きく美しい街が広がる。
広く展開された地区が緊密に寄り集まり、街は何と調和を保ってつなぎ合わされていることであろう。
ベルリンの誇るすべてのランドマークがはっきりと見える。ここにはブランデンブルク門が、あそこには宮殿がある。そのあいだにまっすぐに菩提樹が並んでいる。私はナプキンをとり、窓から外に出した。それは旗のように白い空気の流れにひるがえった。
私は、母がレーゲンスブルク通りの5階のバルコニーから見ているだろうと思った。きっと、私以外にこんなことを思いつく者はいないに違いない。
後で、そのとき私はテーブルクロスを振って合図すれば良かったと胸の痛みを感じた。
建物の上の旗や建物の屋根に昇って見上げる人々、自動車の渋滞が見えた。願望が生み出した錯覚でなかったなら、私には下からの大歓声がはっきりと聞こえた。
我々は街の中心の南西部を大きな弧を描いて旋回し、シュテッティンのアレクサンダー広場に向かった。半時間近くで、ツェッペリンは全ベルリン市民にその姿を見せた。ベルリンの子供達は、ツェッペリンのおかげで休校になったことをきっと忘れないだろう。