LZ127Profile

「グラーフ・ツェッペリン」で世界周航

LZ127Abflug_1

第一区間

いよいよ飛翔

彼は私に2、3回握手してくれ、梯子のまわりに立っている人たちにもすべて握手をした。キスもこの流儀で、素早く滞りなく取り交わされた。それから小さな天空への階段が、雲を征く船のなかに取り込まれた。サロンのスライド開閉式窓はいくつもの頭で押し合い状態であった。そこから手が外に差し出され、最後にもう一度指先を触れあわせていた。
良い旅を!さようなら!ボン・ボヤージュ!グッドバイ!
そうしているうちに、飛行船はもう草原に差し掛かっていた。既に繋留索は引き込まれ、見送りの人達はもう20メートルも離れていた。もう一度手を振って、興奮のためもう声にはならなかった。エンジンが轟いた。私は時計を見た。ちょうど4時半であった。飛行船は垂直に上昇した。眼下は、もう誰も見分けが付かなかった。私が振り返ってみると、我々はもうボーデンゼーの彼方にいた。
地表では広大な平野の隆起に白い霧が上がっていた。太陽は青緑色の天空に架かるバラ色の提灯のようであった。足元を見ると、私の長靴がとても大きく、下に見える家がとても小さく見えた。危うく、その小さな家を踏みつぶしそうに思えた。荷物をキャビンに運ぶ時間になった。狭いサロンは散らかっていたのである。私のキャビンは、4号室の上段ベッドである。私はこの部屋で、下段のグスタフ・カウダ氏と一緒である。理想的ないびきの競争相手である。
ソビエト共和国の代表であるカルクリン氏は、スペイン女王の主治医を務めるすばらしいスペイン人メヒアス博士と一緒の部屋になった。気を損ねなければ良いのだが・・・。ローゼンダール中佐はツェッペリンを操縦できる有能な人物であるが、ハースト新聞の首席特派員フォン・ヴィーガント氏と同室になった。百万長者の遺産相続人である若いリーズ氏は、アメリカ海軍の航空士であるリチャードソン少尉と一緒であった。ドラモンド女史だけは一人部屋である。
衣類を下げる奥行き20センチメートルの造り付け戸棚の蓋には色模様の布地が貼ってあり、その横には外套を掛ける鉤が付いていて、細々としたものをそこへ片付ける。
同室者は、もはや自分のためのスペースが残っていないことに気づいて驚き、大きく、やや皮肉っぽい眼をした。そして彼はすぐに質問を浴びせかけ、互いに軽口を叩くことを抑え、全航程を全うするまえにとても良い関係になった。
サロンでは既に、コーヒーカップがカタカタ鳴っていた。乗船客たちはそれを聞いて船室から出てきて、次第にテーブルのまわりに寄ってきた。大きな窓の框にリーズ氏のグラモフォンが置いてあった。それは黄銅で作られた立派なアメリカ製の器械であった。
まだ5時にもなっていないのに、針の下でレコードが回っていた。これは無くてはならないことなのか?我々は大目に見て許すことにした。どうにかすれば、針をレコードから外すことも出来たであろう。

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