ロサンゼルスの離陸でいくらか機嫌を損ねて指令ゴンドラから出てきたエッケナー親爺の慰労に、私はルビッチから貰った葉巻を差し出した。
彼は微笑んで「レークハーストに着いたら、さっそくいただくことにしよう」とそれを受け取った。彼は葉巻を愛していた。もし、次のツェッペリンで小さな喫煙室を設けることが出来るとしたら、最も異議を申し立てないのは彼だろう。
飛行船での喫煙それ自体は、全く危険ではない。
多くの人は、誰かがタバコに点火したらツェッペリンが空中を飛ぶと考えている。しかし、本当はマッチを投げ捨てるとき、マッチ棒が燃え上がることが危ないのである。それで禁煙となる。それは多くの人にとって非常に辛いものである。だから、彼らは、四六時中メントールの塊を唇に挟み、乳飲み子のようにそれを引っ張っている。
私は北米にどんなイメージを持っていたのであろう。我々はおよそ13州を通過した。
航行は単調であった。ときどき飛行船が旋回してスープ皿がズボンの上に落ちてくることがなかったら、むしろ退屈であったであろう。
我々は丸一日以上、太平洋鉄道に沿って航行した。
果てしなく続く狭く黒い梯子のように軌道と枕木が灰色の砂原に延びていた。
常に風が砂塵を吹き飛ばしていた。
アメリカ人たちが語っていた。幾日もこの軌道を列車で走るのはどれほど辛いかを。
すべての窓は閉じられていたが、いつも口の中は砂でざらざらしていたのだそうだ。そして、ツェッペリンはどうであろう?
窓から入ってくるのは砂ではなく新鮮な空気だった。地上では物凄い暑さに覆われている頃、我々はシャツとズボン姿でテーブルに座っていることが出来た。我々の航行は鉄道に較べて豪華な運航であった。
しかし、豪華ではあっても唯一手に入らなかった贅沢は洗濯であった。
なぜなら、フレミングがロサンゼルスの飛行場で、高度を上げやすくするために、すべて放水してしまったからだ。
私はどうすれば良いかを心得ていた。
私はドラモンド=ヘイ女史の花瓶を見つけ、窓から花を投げ捨てた。そうして私は旅行のために1リットルの水を獲得した。
しかし少なくとも、地上では見ることのできないような西部辺境地帯のロマンを味わうことができた。
その荒野には巨大なサボテンが生えている。そこに鷲や数頭の馬もいた。
まるで野生のように動いていた。
しかし、そこにカウボーイも居なければ、ピストルの発射も、インディアンの天幕もなく、バーもなければ狼も居なかった。
果てしなく草原が続いていた。ときおり、外被を金色の花が飛び去った。
我々はエルパソに到着し、メキシコの街ファレスに架かっている賞賛すべき橋を見たときは嬉しかった。そこには阻止するものは何も無かった。
いまや我々は残りの時間を指折り数えることが出来るようになった。我々の眼下には北米の東プロイセンが広がっているようであった。
たっぷり半日、この同じような風景のなかを航行した。大陸は平坦で、僅かの起伏もなかった。森が全くなく、それが農場主たちの異常な孤独を際立たせた。
風は嫌な風であった。我々のことがあまり好きではなかったようだ。
鉱床を横断するとき、動揺が生じるので昇降舵と方向舵を短時間で調整する必要があった。
カンザスシティまでは、古きヨーロッパのあらゆる国々から、新世界で新たな故郷を築こうとここへやってきた人間達によって作られた実り豊かな農場の風景が延々と続いていた。