次第に日暮れになり、夜になった。新聞王ハーストの館はたくさんの灯りの中で煌めいていた。その傍の塔からは投光器とともに無線で挨拶が送られた。そこからカリフォルニアの奇跡の夜が始まった。ハリウッドとロサンゼルスである。銀河が地上に降り、黒いビロードに横たえられたようであった。どの灯りの輝きも十字に放散されていた。数え切れない数の炎や電気の煌めきが地平線まで続いていた。
地上の小さなほのめきを、航行する我々のトランクの縁越しに眺めていた。まるで、千一夜物語のように。ほのかなドルの香りが、煌めく金襴緞子のコートをまとった街から立ち昇ってきた。飛行場は月光の中で柔らかな空気に包まれていた。「グラーフ・ツェッペリン」が下降したとき、太陽が昇った。
我々はその夜も眠れなかった。そうして我々は航行を続け、多少寝不足で顔も洗わず髭も剃らず、24時間衣服を着たまま過ごしたのち、階段を降りて再び地上に立った。私は快適な自家用車で歓迎会場まで揺られていった。
所持品検査もなく通過するやいなや、私は「ああとうとう、また新しいカラーを襟につけることが出来る」と思った。
それに小柄で愛想の良い、金縁眼鏡をかけた褐色の鋭い眼光の男が -彼は正真正銘のチューリンゲン訛りで話したのであるが- 私の腕をつかみ、連れて狭い木の階段を上り、マイクロフォンの前に押し出した。私は全世界とつながった。
私は -特別の栄誉として- ドイツ語で短い挨拶をしなければならなかった。その機器の前に立つと、全北米を越えて大西洋の向こうへと、計り知れない、全く考えられないほど遠方にいる聴衆が、まるで話し手が同じ部屋にいるかのように耳元でこの声を聞いていると思うと、妙な気分であった。
私は自分が何を喋ったのか、もうはっきりとは覚えていない。後に、私はそれを多くの新聞により知ることになった。
それは一連の体験の一部を含んでおり、また、そのときの雰囲気を多少伝えてもいるので、ここに紹介したいと思う。
「皆さん!私はごく手短に、皆さんに何をお話しすれば良いのでしょうか?我々乗船客はベルリンから東京まで最初の長距離を93時間で航行し、さらに東京からロサンゼルスまで68時間を航行し終えたばかりで、まだ日常の平静に戻っていないのです。
私の耳には、まだ日本の別れの挨拶の声が残っているのに、ここでもうカリフォルニアの熱狂的な歓迎の響に包まれています。
私たちは数分前に、航行中に身も心も刻み込んだツェッペリンから降り立ったのです。しかし、私たちはすでに、あらためて新たな出来事の海原へと突入する気持ちの準備が出来ています。
-できることなら、一度本当の海の中へ、本当の浴槽へ、と私たちの間では言っています。
我々の航行中に起こる外見上の出来事を、皆さんは新聞で知ることができます。
私は今ここで、ドイツの新聞やその何百万の読者の名の下に、あなた方に挨拶せずにはいられません。
私は、ここカリフォルニアのチャーミングで愛すべき淑女ならびにご令嬢のみなさんにもご挨拶いたします。
ラジオを通じて素早く世界に向けてお話しできるというこの稀少な機会を使ってドイツにいる妻や子供たちに呼びかけても、悪く解釈なさらないだろうと思います。」
ロサンゼルスの一日は、サンタクロースのクリスマス袋のようにはち切れんばかりであった。最初に吃驚したのはアンバサダーホテルにおいてであった。
ツェッペリン乗りの、それぞれの部屋に加州人からの歓迎の挨拶と夥しい果物籠が用意されていた。そこにはプラム、桃、見たこともないこぶし半分ほどもある大きなナッツがあった。私は包装を破り、大きな葡萄の房を食べ尽くした。
我々のような旅行をした者にしか、カリフォルニアで入浴することがどういうものであるかを想像するこてゃ出来ないだろう。
それから、部屋に突然の来訪があるという新しい筋書きが待っていた。