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「グラーフ・ツェッペリン」で世界周航

Nagaoka_1

第二、第三区間

宴会、また宴会

この開幕は宴会の嵐の始まりであった。それはもう誰にも止めることが出来なかった。それは言ってみればあまり好ましいことではなく、我々はあまり良い印象は受けなかった。
それが愉快でなかったと言えば罪になるだろう。
友情と思いやり、それにドイツへの称賛に満ちていた。我々は飲んで食べてツェッペリン・プロジェクトを祝った。

しかし、私には別の思い出もある。私はある静かな集会で、長いグレーの制服を着て、首に長い金色の首飾りをした、教会の僧正とも見まがう日本の学識者を見た。
彼の灰色の髪、聡明そうな眼、すらりとした姿、その落ち着いたお辞儀を見、その言葉を聞いた。「奇妙なことだが、我々はあなた方ドイツ人を愛している。」

私は日本の子供たちが、可愛らしい色とりどりの民族衣装で三越百貨店の噴水プールで遊んでいるのを見た。その店で白い半ズボン姿の高齢の日本人が、棒砂糖のようなかたちの大きな氷塊で手を冷やしていた。
私も同じように氷に触れたとき、ある光景が立ち現れた。我々は、その僅か2~3日前には冬のコートにくるまって、暖かいストーブを思い焦がれていたのである。

私は、一人の日本人エレベーターボーイのことを思い出した。
彼は旅仲間から、日本の文字で書かれた天皇の招待を翻訳するように頼まれ、一言訳したあとに、畏敬と狼狽で縮みあがってこう言った。「だめです。これは私には訳すことは出来ないし、訳してはならないのです!」

私は、目の前にいる長岡将軍を見た。彼は75歳であったが

       世界で2番目に長い口ひげをたくわえていた。

旧式な当直将校のような幅広い装いを脱いで、頭の後ろは先細りに一緒に結わえていた。そのひびだらけの老顔に小じわをつくって笑った。短いごま塩の無精髭が顎と下唇のそばで揺れていた。しかし、手を差し出すという西洋の風習を彼は行わなかった。彼は次から次へとお辞儀をし、そのたびにその黒い円筒が膝に当たった。彼は日本の公式礼服であるフロックコートと筋の入ったズボンを身につけていた。

私は街を車で走ったり歩いたりしたときのこと、鮮やかな色の「銀座」の商店街の光景、大きな店の前の歩道に広がる夕方の屋台を思い出す。私はそこで、素晴らしい色の絵本を見て、20ペニヒで買い物をしたが、それを開いてみると、もうツェッペリンが描かれていた。私にそれを手渡してくれた老婦人は小さな算盤でつりを計算していた。
それにしても三井銀行に行ったときは、その空間の広さ、大理石の冷たさと透明感に驚嘆した。同伴者の話によると、すべての公共建造物と大きな事務所は、震災の経験に基づいて、揺れが来てもびくともしないほど頑丈に、強固に建築されているのだそうだ。多くの通りで大災害の痕跡を見かけた。しかし人々はもう、それを忘れていた。

彼らは辛抱強くよく働き、走り、笑い、子供を背に負ぶって、それぞれ本当に頑張っていた。子供は、この地では無冠の主であった。

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