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「グラーフ・ツェッペリン」で世界周航

GZ_1

第一区間

お伽の街で

しかし、上空から見た東京はどうであったか?
街のなかの農家を過ぎて行くと、木々と庭を見物するのを忘れていた。
まるで村の家々が、木々と庭を携えてくるのを忘れたまま街に移動してきたかのようであった。その間には立派な石造りの店がある。通りは大騒動になっていた。
人の群れは、這いまわり、地面の上に平坦に横たわっているかのような屋根によじ登り、家々の前にひしめき合い、電柱にぶら下がったり、電灯から手を振ったりしていた。
ツェッペリンは、堂々と力強くその進路を進んだ。

日本の象徴である陛下のお心を損なわないように、その宮殿である皇居を用心深く回避したのち、針路を横浜方面に変えた。
皇居の上空を飛行するのは、日本の概念では陛下に対する失礼にあたるため、それを避けて横浜へと旋回したのである。
そこはめざましく活気のある大規模な港湾で、数え切れないほどの船舶が我々を迎えてくれた。
100時間の航行を終えて、我々は霞ヶ浦の着陸地上空へ来た。

大きな曲面で覆われた格納庫の周辺には、色とりどりな天幕が設けられ、白い制服を着た日本海軍の将兵が待機していた。日本中のドイツ人が大勢詰めかけていた。
我々が降下しているとき、飛行場から響いてきた感激の叫び声が飛行船に届き、その瞬間心臓が止まるほどであった。
さらに5万人もの見物人の群れが押し寄せていた。長い前列が草原になだれ込むのが見えた。一体、この状態で警察に何が出来たであろう?
しかし、彼らは行儀良く距離を置いて留まり、様子を窺い手を振っていた。

我々が飛行船から降り立ち、同胞のドイツ人たちに歓迎され、抱擁して貰ったときのことは、簡単には忘れられない。税関と入国審査の手続きは、好意的な挨拶で簡単に済まされた。
我々は夕闇のなかでコートと手荷物を持って野原を陶酔状態で歩んでいた。東京行きの駅までの自動車は何処で待っているのだろう?

差し当たってそんなことを考えている余裕はなかった。
我々とエッケナー、それにその士官連は、詰めかけた何百もの群衆に取り囲まれ、大きなテントへと連れて行かれた。
そこには長いテーブルが設定されており、冷えたビール、小皿に盛られた変わったクッキーや、その他見たこともないものが用意されていた。
ビールの最初の一口!私はビールがこれほど旨いものとは知らなかった。
白いドレスを着た可愛いブロンドの娘が酌をしてくれた。
日本の海軍士官が清酒の瓶を持ってきた。誰かが私のコートを脱がしてくれた。

エッケナーが堂々と、大声でスピーチしているのが聞こえた。それに日本人も続いた。エッケナーの話は日本語に通訳された。
彼の、その短いながら立派なスピーチで聴衆を傾聴させたことに感銘した。彼は、その短い挨拶を聞く人々の様子に驚いていた。
爆笑が起こり、歓声が上がった。
ビール、日本酒、あられや牡蠣の香りのする貝の干物、巻き寿司、魚片の燻製、チョコレートシガーなどが並べられていた。
HAPAGが我々を迎えてくれた。

メヒアス博士と私は列の後ろで、我々を車まで案内してくれるガイドのあとを歩いていた。当然、我々は何度も立ち止まった。
それは私に、何をさておいても何とかしてやらねばという気持ちを起こさせ、その結果我々は、その車に乗り損ねることになった。白と黒の長い着物を着た、赤子を背負った若い日本の母親の姿には特に釘付けとなり、そのために接続便に乗り損ねてしまったのである。

そこに3人の日本人が乗務しているオープンカーが来合わせたので、その車に乗せてやることが出来た。彼らは我々が乗り込む際に快く手を貸してくれた。我々は熱心で誠実な配慮に感動した。
しかし、だんだん暗くなる夏の宵に、鉄道の駅に向かっているとき、夢を見ているような妙な幻覚のような気分になった。
夢のような奇妙な幻影のような出来事が始まったのは、我々がすっかり暮れた夏の夜を駅に向かっているときであった。

途中で多くの村々を通った。あとでシラー船長が言っているように、額に触ったり、腕をつねったりして、それが現実のものであったのか確かめなければならない程であった。
開け放たれた家には、紙のように薄い床があり、男たちは褐色肌の半裸で横たわったり座ったりしており、女たちは座り、鮮やかな明かりが灯り、どの家も色とりどりな何千もの小物を売っている小さな店のように見えた。
家々の間には暗い木々が立っていた。

また、道端には屋台が並び、見たこともない果物や造花や小さく多彩な瓶が売られていた。
そして、我々にはどの顔も異郷の不気味な世界のように見え、黒く好奇心に満ちた大きな2つの眼が光っていた。

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