LZ127Profile

大型旅客用飛行船の黄金時代(10)

LZ127Plan2

Harold G.Dick with D.H.Robinson著 "Graf Zepperin & Hindenburg"

「グラーフ・ツェッペリン」と「ヒンデンブルク」
大型旅客用飛行船の黄金時代


第3章: グラーフ・ツェッペリン(2)

上部水素気嚢の自動弁は船体下部にあるキール(竜骨)から到達出来なかったので、セイルメーカー達がこれらの弁を操作するために中央通路が設けられたことは特記に値する。中央通路は船体中心線上で、上下位置は断面の中心よりやや下である。

比重1.06のブラウガスを使用することの大きな利点は、エンジンによる消費によって船体重量が殆ど変わらないことである。従って飛行中に水素を、船体を静的平衡状態に保つためにガソリンを燃焼させる場合のように不経済な排出せずに済むことである。一定量のガソリンがキール脇のタンクに搭載されたが、実際の燃料の組み合わせは、私が乗船した南米航路の例では、ローディングシートに示された実績によっていた(後述の第8章に記載の366次航データを参照のこと)。

船体後部には厚みのある片持式がついており、下部に補助操舵室が設置されていた。船首部には繋留柱に取り付けるための繋留コーンが設けられていた。

エッケナー博士は従来通りの地上作業チームによる格納庫へのドッキングを好んでおり「グラーフ・ツェッペリン」をレークハーストの高いマストに繋留しようとしたことはなかった。

1931年初頭、リオデジャネロへの旅客輸送飛行に就航していた「グラーフ・ツェッペリン」はペルナンブコのレシフェに寄港したときに短いマストに通常の繋留を行っている。

「グラーフ・ツェッペリン」には「ロサンゼルス」と同じように5基のエンジンゴンドラがあり、それぞれにマイバッハ製VL-2V型12気筒のエンジンが搭載されていた。これはVL-1型を改良し、頑丈なクランクシャフトにして圧縮比を高めたものでフルスロットルで550馬力、1400回転の巡航時出力は450馬力であった。

前部ゴンドラは同じく20人乗りの「ロサンゼルス」と同様に造られていたが寸法はさらに拡大され、長さ98.5フィート、幅20フィートであった。操縦室は前部にあり、方向舵・昇降舵の舵輪と、ガスおよびバラスト水の操作盤、それにエンジンテレグラフが装備されていた。計器類は、舵手のための磁気コンパスおよびジャイロコンパス、高度計、昇降計、微気圧計、傾斜計それに昇降舵手のための新しい計器として、7つの気嚢が100%展張していることを示す指示計が追加されていた。

操縦室の直後にはゴンドラの幅一杯の海図室が設けられていた。その後方は左舷側に無線室、右舷側に調理室があった。無線室も調理室も小さな風車駆動の発電機により電力を供給されていたが、その発電機はゴンドラの側面からブラケットで展張することが出来た。140ワットの主送信機と70ワットの電池で駆動される非常用送受信機があり、その何れにも電波式方向探知機が装備されていた。

調理室には2基の電熱器によるストーブと、温水器、冷蔵庫、ディナー用の食器類を収容するラックなどがあった。長いゴンドラへの舷門にあたる扉は左舷側の調理室の直後にあった。その後方にはゴンドラの全幅にわたるラウンジがあり、その広さは縦横とも16.5フィートで、外側に傾斜した4つの大きな窓があり、ダイニングテーブルが4つ、椅子が16脚置かれていた。

さらに後方には20人の乗客のために両側にそれぞれ5室、通路に面した就寝用キャビンが用意されていた。各キャビンには、それぞれの窓があり、ソファ、衣類用クローゼット、小テーブル、折り畳み式キャンバススツールが備えられていた。夜間はソファの背がヒンジで持ち上がり、天井から吊られて上段の寝台となった。

ゴンドラの右後方には洗面所とトイレットがあった。使用済みの水は船外に投棄することなくバラスト水として蓄えられた。

第3章: 「グラーフ・ツェッペリン」(1)へ

第3章: 「グラーフ・ツェッペリン」(3)へ

トップページに戻る