LZ127Profile

陸を越え、海を越え

Bild126

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(5)

アメリカ海軍は、我々を支援するために2隻の巡洋艦を派遣していた。1隻はハリファックスの南約250浬の北緯40度近くに配置されていた。もう1隻は、北緯45度に近いニューファンドランドの南東150浬の海上であった。

我々は、これらの艦から風向・風力の情報を得ようと接触を開始した。長い実りのない努力の結果、真夜中近くになって初めて接触できたが、そのときは時速僅か40キロで前進することを決めたあとであった。

南側の艦からは冷たい強風を、北側の方からは軽い南東の風を報告してきた。それで低気圧域がニューファンドランド南方にあると算定した。その北を回ることに決め、ニューファンドランドの南端レース岬に向けて北西に針路をとった。

激しい南西の風が今度は横から当たるようになったがそれほどひどくなく、徐々に治まっていった。昼にはとても静かになったが、それは低気圧域の中心に向かって進んでいたからであり、半時間後には軽い東風が進行に助勢しはじめていた。

北西に針路を変えた地点から5度北のレース岬南東、北緯44度線付近まで近づいた。そこからボストンに向けて西に舵をとった。船速は時速125kmに上がっていた。

4時前に海面に横たわる濃い霧の中に突入した。冷たい北東の気流がガルフストリームの暖かい海水に吹き付け、我々はその上空を飛んでいたのである。見通しの効く霧の上に出ようとしたが、昇れども昇れども抜け出せず、とうとう1500mまで上昇した。

雲の上を行くことは美しい眺めであったが、何時までも楽しんでいるわけには行かなくなった。飛行船が何処を漂っているのか判らないからである。現在では使う必要がなくなったが、そのときは電波方向探知機を設置しておいてくれたことが有難かった。

海面を見るために降下した。降下の危険性は承知していた。我々の下の何処かに、霧に隠れたノバスコシアの山岳がある筈であった。しかし、深い霧や雲の群れからノバスコシアの南を流れるガルフストリーム上空にいることを確信したのである。

気圧計で高度150mまで降りたとき降下を止めた。バロメーターの指示が不正確かも知れないと思ったからである。低気圧域に入っており、高度の読み違えにより海面に衝突するおそれがあった。

受け入れがたい状況であった。気温は下がり、凍るばかりになっていた。しかし、2時間後には徐々に薄らいで行き、10時には遙か北に瞬いているハリファックスの灯りが見えた。これで航海に関しては順調に終わる見込みが立った。

現時点からニューヨークまでは約900kmで、このまま晴天なら何の苦労もないはずである。早朝、ボストン上空に来た。街は眠っているように見えたが我々のために目覚めてくれた。まだ、ずっと遠くにいるうちからサイレンと汽笛が響き始めたが、我々には何が起きたのかよく判らなかった。

夜明けにはサンディ・フックの沖にいた。フリードリッヒスハーフェンを離陸して77時間が経過していた。湾と湾岸は薄い朝霧で覆われていたが、摩天楼の幻想的な影がその上に聳え、昇る朝日に輝いていた。

暗く何もない海から突然現れた我々に、あらゆる言葉で祝福された圧倒的な巨大都市が、敢闘的冒険心で到来する外来者を迎えてくれたおとぎの国のような、実に印象的な絵のようであった。

ニューヨーク市民に、我々の飛ぶ姿を長時間見て貰えるように上空を巡航し、それから徐々に旋回しながら高度を3200mまで上げた。それから、近くにあるレークハースト飛行船発着場に向かい、9時に到着した。そこにはニューヨークから車や、30本の特別仕立ての列車で駆けつけた大群衆が待ちかまえていた。彼等の熱狂は圧倒的に騒々しく熱狂的であった。

ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(6)

陸を越え、海を越えのはじめに戻る

トップページに戻る