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陸を越え、海を越え

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Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(3)

乗組員とアメリカ海軍の受領委員は飛行船に乗り込み、ガソリンとバラストが想定した天候状態に基づいて算定された、飛行に充分な量だけ搭載された。地上支援員は操船索を保持して飛行船を引き出す準備を整え、大観衆は興奮してスタートの合図を待った。しかし、その合図は出されなかった。

飛行船を引き出す担当技師が操縦室に来て、飛行船は既にウェイオフしているが、重いと報告してきた。私は数百キロのバラスト水を投棄させたが、それでも飛行船は重かった。さらにバラストを投棄する必要があると思った。

この状態になった原因は、暖かい気温で霧が流れ込み、それが冷やされたことにあった。暖かい空気は冷たい空気より浮力を減少させる。既に必要最小限度まで投棄して、必要量の限界に達していたので、それ以上バラスト水を犠牲にすることは好ましくなかった。それで、ガソリンを捨てざるを得なかった!

しかし、それでも400~500キロ程度のことであり、気温は上がり続けていたので飛行を明朝まで延期する決心をした。待ちかまえていた群衆はあざけり、人々は我々が「平静に」と言っているのを聞くのが精一杯であった。

新聞記者は走り回って電話で新聞社に知らせていた。離陸の感動を伝えるニュースを待ちこがれ、この事業が我々の確信によって決定された予定通りに進行することを興奮気味に期待していた大衆はみるみるうちに失望に変わった。

私は、このような大衆の反応が予測されたので「飛行延期」と発表する勇気が持てるまでに長時間躊躇した。私は生涯で、これほど難しい判断に建たされたことは少なかった。しかし、今日でもその決断が出来たことを嬉しく思っている。

翌朝、再び我々は準備に掛かったが、あの暖かい朝の霧を避けて予定を1時間早めた。そして今度は全備重量で離陸することに成功した。出発は素晴らしくうまく行った。

高さ200mの雲を突き抜けると、そこは光り輝く霧の海が太陽に輝いており、南にスイスアルプスがバラ色に連なっていた。我々はついに、長い間待ち望んだこの「偉大な日」を喜んだ。ツェッペリン飛行船は何が出来るかを示そうとしていた。我々は霧の海でバーゼルに針路をとった。間もなく霧が晴れ、フランスが我々の眼下で陽光に輝いていた。

注意深く天気図を検討した結果、通常の汽船の航路より幾分南の進路を選択した。北大西洋の北部には低気圧が居座っており、それが非常に強い西風をニューファンドランドから英国南部に送っていた。そこに突入するのは無鉄砲であった。それで南フランスを越えて、フィニステーレ岬からアゾレス諸島に針路を引いた。その先にはさらに発達した低気圧が待ちかまえている筈であった。

この航路は汽船の航路より350浬遠回りになったが、飛行時間は短縮されると思われた。飛行船の航法は常に気象学に拠るべきであり、それが最良の結果をもたらしていた。新型の飛行機はその高速の故に、風向きに関わらず最短距離を飛ぶことが出来る。

フランスは箱庭のように眼下に横たわっていた。我々はある種、感覚的な喜びで石の多いブルゴーニュの葡萄園が育っているのを眺め、その後ボルドーの葡萄が広がってきている地域に来た。この2つの国はどうして趣がこうも違うのだろう!

昼少し過ぎにジロンド河口の海岸に達し、泡立って左右に広がる陸と海を隔てる、鋭く輝く分割線を見た。張り詰めた期待でそれを越えたが、おそらく歓喜の気持ちによるものであったのだろう。目の前に、飛行船が安全にそれを横断して行くことが出来るかどうか問われている、際限のない広がりが横たわっていた。

我々はその問題に最初の証明を下そうとしているのである。夢と希望は達成に手の届く処にあった。そのとき、大洋は比較的穏やかに眼下に横たわっていた。ただ、西から寄せてくる長く高いうねりによって、沖から嵐を含んだ風が吹いてくるのが判った。

飛行船はこれまでのようにスペイン北西岸のオルテガル岬に向けて快適に飛行を続けた。太陽は徐々に水平線に沈み、あたりは段々と暗くなり、広い海上はさらに神秘的になってきた。そこでは多くの漁師や船員がびっくりして頭上を過ぎて行く灯りを見上げていた。真夜中にオルテガル岬の灯台に達した。遙か南西に、嵐の夜に危険なスペインの北西海岸で数千人の海員を誘導したり救助したフィニステーレ岬の強力な光が輝いていた。それは7千キロ離れた目標を目指す我々に対する、道しるべのない横断飛行の最後の固定点としてのヨーロッパから最後に送られる挨拶であった。

目的地にたどり着けるであろうか?

ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(4)

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