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陸を越え、海を越え

B026

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

1931年の北極飛行(5)

荒天の準備をせねばならなかった。それよりも先に、どのコースを選ぶか決心しなければならなかった。

予め、天候次第によってコースを決定することにしていた。

すっかり非常に濃い雲に覆われており、もしアルハンゲルスクから北東に、まだ見たことのないセベルナヤ・ゼムリヤに進むなら、ノバヤ・ゼムリヤ北端と同様、おそらく一両日を要することは明らかであったが、東のフランツ・ヨーゼフ・ランドに進むことも出来、それは我々の探検飛行の主要目的の一つであった。

この「左寄り」のコースは、この探検飛行で唯一、シベリア北極海に入る機会であったが、その見込みは殆どなかった。

他の可能性も残されていた。「右寄り」に行けば、フランツ・ヨーゼフ・ランド、そこから東にゼベルナヤ・ゼムリヤ、西に行けばノバヤ・ゼムリヤの北端に出る。ノバヤ・ゼムリヤへ行く西の天候は、我々が1日半か2日後に到着するころには好転することも期待できた。

当然、北に向かって進むために最初に悪天候を通り抜けねばならなかった。我々は悪天候を長時間待つ必要はなかった。

その間、白海上空では、北極圏の境界線を横切った直後に、暗い雨雲が左手のコラ半島上空に見え、その方向のカニン岬とバレンツ海の入り口には進行方向正面に青黒い雲の壁が広がり、今にも崩れそうであった。それはあたかも北極海が、我々を阻止するために防御壁を立ち上げたように見えた。望みを捨てるな、汝らここより入るべし!

既に白海上空にあり、気温はアルハンゲルスク上空で計測した華氏66度から50度に徐々に低下していた。黒雲に入ると、急に43度になり、、39度まで下がった。冷たい雨が、操縦室の窓に打ち付け、飛行船は激しくピッチングと上下動を始めた。

それは、闘わねばならぬ典型的な「突破への闘い」であった。温帯域であれば、おそらくもっと温和であまり影響がないのかも知れなかったが、帯域の境界で大きな気温低下のある場合にはそう呼んでも良いであろう。

実際、我々がバレンツ海上空で悪天候の中を進んでゆくに従って治まって行き、そしていま激しく冷たい雨をもたらす雲塊のなかを飛んでいるが、気温は氷結のおそれのないほど高かった。

こうして、高度500~650フィートを快適に飛んでいた。

このような状況が2~3時間続き、強い北西の風に押し戻されながら、時速27~36マイル以下で飛行し、徐々に北に向かい、時速18~22マイルに減速した。右手にある低気圧域の傍を通過するためであった。

ゆっくり飛びながら北緯73度に到達した。低速で飛ぶのは強い向かい風に対抗して進むためであったが、驟雨の中で飛行船の構造にかかるストレスを緩和するためにも減速しなければならなかったのである。

この緯度で、徐々に明るくなり始めた。が、残念なことに海上で雲の層が発達しており、その上を海面を一切見ることなしに飛ばねばならなかった。それで数時間、自船の速度や正確な位置を確認できないまま飛ばねばならなかった。

しかし、これはそれほど深刻な問題ではなかった。海面上に居ることは判っていたし、燃料も充分にあり、事態はまもなく好転することも判っており、低い雲間からチラと下を見ると風は北東に変わりつつあり、それは悪天候域から遠ざかることを意味していた。それで、3基のエンジンでホバリングし、北東の風に向かいながら天候の回復するのを待った。

北極飛行(6)

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