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陸を越え、海を越え

ZRIII

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(2)

なぜなら我々自身が作る、大西洋を横断するように要求されている飛行船は、戦争末期の飛行船と同様、最低限7万立方mの大きさが必要であることを理解して貰えるように説明する必要があった。しかし、ロンドン条約議定書の条件下では3万立方m以上の飛行船の建造は許可されなかった。

おまけに、その飛行船は80万ドルでは建造することが出来ず、最低でも90万ドル必要であった。従って海軍省はこの場合、ロンドン条約議定書の対象外として追加の10万ドルをその財政のなかから用意しなければならなかった。政府と、アメリカ政府と、ツェッペリン社の間の契約はすべて同じ日に同時に署名が交わされた。その日は、契約の締結に尽力していたラテナウ書記官が暗殺された日であった。

飛行船の建造は年内に開始された。容量72000立方mで、マイバッハ社製350馬力エンジン5基を搭載するものであった。3人の米海軍技術士官が建造を監督し、ツェッペリン社の技術者と詳細な打ち合わせをするためにフリードリッヒスハーフェンに駐在した。このため素晴らしく調和のとれた共同作業が実現できた。

1924年9月末に飛行船は完成し、ボーデン湖上で最初の短時間の飛行を行った。そのとき非常に強い風雨に遭ったが、このため飛行船の船体強度の確認が出来たので、このスコールに遭遇したことは幸いと言うべきであろう。何度かの試験飛行を行って欠陥のないことを証明した後、大西洋横断飛行の出発は10月12日と決められた。

私は自信を持ってその飛行に期待した。これは明らかに、単に大いなる真剣さで未知に挑む挑戦にとどまらず、参加者の生命もツェッペリン社の行く末も我々の成功に掛かっていた。この状況で失敗すればフリードリッヒスハーフェンの会社も事業を継続することは出来ず、未来に広がる硬式飛行船の伝統と信頼も失ってしまうことになる。それだけではなく、イギリスやアメリカのように躊躇しながらもツェッペリンに類似の飛行船を作ろうと努力を続けている国をも確実に落胆させることになる。

私の考えによると我々に与えられたこの機会を利用して、硬式飛行船の存在価値を証明することが出来なければ、現在人々が支援してくれているツェッペリンの理念は消失してしまい、伯爵が鋭意努力して構築してきた組織ごと失ってしまうことになる。

このように我々は大きな賭けに臨んでいるのである。それは如何に信念や確信を持って臨むにしても賭には違いない。人は常にある種のツキを必要とする。状態が良ければ無くても済むが、特に状態が思わしくないときは必要なものである。

そして何時、それを間違いないものにするのだろう?

私は自分に言い聞かせた。我々は既に、ツェッペリンが激しい風雨に耐える能力を示したことを知っている。だが、北大西洋であんな暴風が吹くのだろうか?

陸上で暴風の進み方、特に大地の熱による乱流はよく判っている。しかし、暴風の移動速度は海上ではさらに速く、雲はおそらく暴風の乱流を加速させるであろう。おそらく、この点は経験のみに基づく我々の知識と大きな違いがあるに違いない。

特に注意しておかなくてはならないことは、飛行船は浮力で飛行するわけであり、燃料を経済的に使い、おそらく80時間を要すると思われる飛行の間、すべてのエンジンに供給し続けることである。もし、強い西風が継続して吹く状態で、北大西洋上で非常に悪い気流が生じた場合、ガソリンを使い果たす危険性がある。

これらのことを考慮して出発日を決定した。乗組員は大騒ぎとなり、なかには不平を言うものも居た。

10月12日の早朝、格納庫に収容されていた飛行船は出発準備が整った。

ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(3)

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