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陸を越え、海を越え

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Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

南米航路(9)

私の計画で、南米への定期便を始めるに当たってやろうと思っていたことを実行することにして、まもなくレシフェの基地で必要な改良を展開することに力を注ぐことにした。私はそのことを、ニューヨークで数年前の世界一周飛行のときに「独米ツェッペリンエアライン会社」の話を持ちかけてきたある紳士と話し合った。そんな話が、これからの飛行で増えることに確信を持っていたし、興味もあったので満足であった。

それで、レークハーストに2日間滞在したあと、充分満足して帰途に就いた。計画にしたがって、次はスペインの乗客を下船させるためにセヴィリアに行くことになっていた。

レークハーストで空き室が出来たので、さらに数人の乗客が乗船した。

その中に、グッドイヤー・タイヤ・ゴム社の重役であるハーファム氏がおり、ツェッペリン社と友好な関係を築くことが出来た。

さらに、我々がとてもよく知っており興味を持っていた紳士である、アラスカから北極を越えてスピッツベルゲンに飛ぶことを話してくれたフーバート・ウィルキンス卿も乗船していた。彼はそこで暴風雨のなかに着陸し、辛うじて大惨事から逃れることが出来たのである。

フーバート卿は魅力的ですばらしい新構想を持っており、そのために飛行船に乗ってみようと思ったのである。彼の計画については次章で述べることにする。

午後10時に離陸し、最初にニューヨークに飛んだが、それには理由があった。訪問と称してそこへ到着し、そこから出発していたのである。街と港はサイレンを鳴らし、サーチラトを振っていつもの挨拶をしてくれた。

ちょうど真夜中にサンデー・フックを通過し、ルート上にあるアゾレス諸島のファヤルに進路をとった。

飛行は非常に快適に展開し、大西洋上の天候に関して特別な情報は何も来なかった。寒冷な大西洋を渡るときいつものように現れる驟雨前線が前方に横たわっていたが、あまり問題ないと思っていた。

だが、そこに驚くものを発見した。偏流計の使用とその改良によって、風と偏流による航法を改善していたのであるが、外洋に出て33時間の飛行で、予測した時間と方向にファヤル島の南西端が正面に見えてきたのである。

洋上では風速や風向が絶えず変動しており、飛行船がスコールの中を飛び続けたことを考えると、航海士の力量、常時緊張の続く業務遂行、責任感を改めて認識させられることであった。

「気流をセット」することで、より確信を持てる環境で比較的気流の影響が少なく殆ど影響を受けない、洋上を航行する汽船と同様に、ほぼ計算通りの位置と進路を操舵してきたことになる。

美しいホルタの街を突然訪問し、住民の熱狂的な歓迎を受けた。それから、6年前にZRⅢでここに来たとき雲の中から頂上だけしか見えなかった立派なピコ山を通過した。

1時間半後に、絵のように美しいアゾレス諸島のテルセイラ島を後にして、針路をリスボンに向けた。先にも述べたように、ファヤル島に到達するまで、僅か33時間を要するのみであった。

テルセイラ島の先は、天候も風もあまり良くなかった。風は、ときおり北東から相当強く吹き、何度もスコールの中を飛ばなくてはならなかった。それでポルトガルの海岸線に到達するのに20時間近く掛かり、対地速度はアゾレス諸島までの速度の半分に低下し、それまでの70~75ノットから40ノットに下がっていた。

それでも6月5日午前9時にロカ岬に到達した。サンデーフックを出てから54時間後のことである。

南米航路(10)

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