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陸を越え、海を越え

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Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

南米航路(8)

カナダからの冷たい冬の風が吹き込んだことで、5大湖からカリブ海までの広範囲に激しい驟雨前線が広がり、その前線は大西洋へ前進しつつあった。

しかし、ともかくこの前線を突破してレークハーストのある本土へ行かなくてはならなかった。緊張して、この突破のときを待った。

真夜中にバルバドスの西部に達し、その西にあるアンチル諸島の小さい島々を夜のうちに通過して、翌朝6時にプエルトリコの東端にあるサンファンで大西洋に出た。

ここで進路をやや北にとり、ハッテラス岬に向かった。驟雨前線はさらに激しさを増していた。

早朝、東ないし南東から吹いていた風は徐々に南から南西に向きを変え、風速は毎時18~22マイルになっていた。視界は依然として良好で雲もなく、飛行船は時速70~80マイルで進んだ。青い洋上の素晴らしい飛行であった。

しかし、正午過ぎ、風は激しくなり毎時27~34マイルになって、西の水平線上に青黒い雲の壁が現れた。そこで北にコースを変え、時速90マイルで、毎時38マイルの南よりの風に乗り黒雲の壁に沿って、西に変針するポイントを探しながら進んだ。

ワシントンの気象台とレークハーストから、この驟雨前線に関する緊急警報が入電し、それを見てこれを突破しようとする決意が湧き上がった。その前線はサンファンから緯度差15度、距離1150マイル、時間にして13時間にわたって展開していた。

そのとき、ハッテラス岬の東に居て、そのまま北よりのコースをたどれば状況が良くなる見通しは立たなかった。それで、前線に飛び込んだ。

その後何が起きたかは、細かいところまではっきり記憶に残っている。

飛行船は突然、乱暴に上向きに突き上げられ、我々は強制的に跪かせられたような感じであった。その直後、船首が急激に下に突っ込み、ゴンドラの床が抜けたように感じた。それと同時に、飛行船の各部が震動し、構造がこの強烈な応力に耐えられるかと心配した。

やがてピッチングが始まり、私は飛行船に掛かる力を低減させようとエンジンテレグラフを半速に切り替えたが、状況はなお限界状態のままであった。

それが10分も続いたであろうか、その間に気団がぶつかり合って大混乱が生じ、飛行船は上下に、左右に揺さぶられた。

それが少し治まってから下を見下ろすと、風は南から北へ変わっていた。

すぐに風力を測定し、風速が毎時45マイルであったことがわかった。15分前の観測では時速38マイルの南風であった。同時に、気温は華氏72度から57度に下がり、その後2時間でさらに42度まで下がった。それは非常に強い「寒冷前線」であった。

ハースト新聞社の特派員 フォン・ヴィーガント氏がこの強烈な暴風に遭遇した直後、この事態に関する私の印象を訊ねてきた。私は次にように答えた。「これは今までに私が経験したなかで最もひどい豪雨で、これ以上ひどい状態はないと確信しています。だが、この飛行船はこの素晴らしい状況を見事に通り抜けたのを見たでしょう。我々は如何なる天候状態でも確信を持って飛べるのです。」

強かった北風は徐々に低下し、その後2~3時間で時速34マイルになり、8時間かけてレークハーストとほぼ同緯度の40度線に到達した。

午後7時に飛行船は格納庫に入った。

重要で興味のあった飛行は終わりを迎えたのである。

南米航路(9)

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