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陸を越え、海を越え

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Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

世界周航(7)

午前6時、目の前の広いレナ川の川辺にヤクーツクが見えた。立派な通りに沿って、木造住宅や小屋に囲まれて分散して建てられた大きな居留地があった。

広い河岸の膨大な木材置き場を見て驚いた。この木材は何処に船積みされるのだろう。レナ川を北極海に下るのであろうか?決してそんな筈はない!

この大量の木材は特別寒い冬にために用意されているのであろう。人々は大量の木を燃やして暖をとるのである。

町外れの小さめな墓地に花輪を投下して船首を巡らせた。スタノボイ山脈を越える峠を目指して南東に向かうのである。そこから3000km以上離れているので山脈はまだ見えなかった。

誰も住んでおらず何もない大地を進んだが、なかなか良いところで山脈に近づくにつれて絵のような趣のある景色になっていった。2時間飛行してレナ川の相当大きな支流であるアルダン川を渡った。その川は山脈に沿って流れていた。アルダン川に注ぐ支流の両側に800~1000kmにおよぶ長い山脈が連なる谷間で徐々に高度を上げ始めた。この長い山脈はオホーツク海に面した東岸まで続いていた。

ヤクーツクを高度約500mで通過してきたが、広いレナ川流域からアルダンまではそれほど高い高度ではなかった。ここに来て最初1000m、次いで1200mと巨大な山脈の幅の広い尾根が姿を現し、見渡す限りこれまで経験したことのない高さまでゆるやかに上っていた。

どれほどの高さであろうか?地誌によれば尾根の高さは優に2000mを越え、アヤン港に続く峠はおよそ1500mであった。しかし、地図では山岳地帯全体の領域は不明確で、谷はだんだん狭くなり、両側の山頂はさらに高くなるので緊張と不安に包まれていた。

昼に山頂に到達した。前方にそれより高い尾根は見えなかった。すでに1700mまで昇ってきたが、乗り越えねばならない峠はそれより高く見えた。やや強い北西の風が谷を吹き上げ、岩壁に近づきすぎないように用心しなければならなかった。およそ1800mまで昇って、これで乗り切れれば良いと思った。

それより700~800m上まで上昇することは出来たが、そうすると大量のガスを放出せざるを得ず、その分飛行船が重くなる。これは出来るだけ避けねばならなかった。飛行中、いつ雨によって船体が重くなるか判らないからである。

緊張して前方を見ると尾根の鞍部がだんだん近づいてきた。何とか乗り切ることが出来そうに思えた。そして、ついにやった!

およそ50mで尾根を乗り越えることが出来た。「海だ!海だ!」と興奮して叫んだ。眼の前に、いや眼の下にオホーツク海が滅多に見せないと言われる鮮やかな青で眼に飛び込んできた。あの陰鬱なシベリアの旅は終わったのである。

美しく青き大洋が、いつまでも見飽きることのない表情を湛えて招いていた。まもなく懐かしい海岸線や街に出会うことであろう。

徐々に高度を下げていった。2時過ぎ、アヤン港の漁民の頭上に飛行船のエンジンの音が轟いた。船乗りや漁民には天を駆ける火を噴く馬車のように思えたかも知れない。

ベルリンから太平洋岸まで、ほぼ69時間、7600kmを飛行してきた。ここまで非常に効率よく燃料を使用してきたので、タンクの中にはなお50時間分の燃料が残っていた。このまま直接ロサンゼルスまで飛ぶことも可能であると思われた。そうすればベルリンからサンフランシスコまで無着陸で120~125時間の記録が出るかも知れない。大圏コースに乗って行けばカムチャッカ、ウナラスカを越えて6000kmの距離であり、気象概況によれば その空域では殆ど追い風であると思われた。

そうすれば燃料はおそらく足りるであろう。だが、日本人は何というだろう?もし、寄らずに通過してしまったらモスクワ市民以上に怒るに違いない。

ここからは航法上、非常に興味ある部分に差し掛かった。低ツングースカを飛んでいるときに、気象概況はシナ海中部に強い台風があり、日本海の方へ移動していると知らせてきた。飛行船が日本海に行くまでに通過してしまうので、そこに向かって進むことは気にしなかった。しかし、その後台風は遠く北東に去り、もはや北ないし北東の風を利用することは出来なくなっていた。

世界周航(8)

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