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陸を越え、海を越え

WeltAlras

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

世界周航(4)

全航程2万kmの旅の順調な滑り出しであったが、この先には長いルートが待ちかまえていた。およそ7千kmを飛行してきたところである。

フリードリッヒスハーフェンには5日間留まった。主にレークハースト往復で判明した改良を要する点の補修であったが、フリードリッヒスハーフェンから参加する乗客を待つためでもあり、大飛行の前に船体やエンジンを更に点検するためでもあった。

フリードリッヒスハーフェンで乗り込む乗客のうちで主要な人物はドイツの新聞特派員で、彼等は当然のことながらフリードリッヒスハーフェンからフリードリッヒスハーフェンまでの「ドイツの世界一周」のつもりで参加した。ロシア政府からの3人の代表も一緒にロシア領上空を飛行するために乗船したが、後になって我々とちょっとしたトラブルを引き起こすことになる。アメリカ海軍省代表のローゼンダール司令は当然ながらレークハーストから乗船していた。

総勢で20名の乗客と41名の乗組員を乗せて、早朝「世界一周飛行」に出発した。天候は穏やかな快晴であった。

ウルム、ニュルンベルク、ライプツィヒを経てベルリンに行き、11時にウンターデンリンデン上空に達した。首都の人々に出発に当たって飛行船の姿を披露して、そこから日本の首都へ挨拶を届けるのである。ベルリン市民はこの気持ちをよく理解してくれたようで、ウンターデンリンデンを低空でゆっくり飛ぶ飛行船に熱狂的な挨拶を送ってくれた。

私はちょっと変な気持ちになった。時は流れても日本は大戦中我々の敵国であり、中国のドイツ領土を奪っている。世界はすぐに忘れるが、これは外交の面では良いことでありほかの方法では古い確執を取り除くことは出来ない。

そのあとフレミング船長が、そこに住む年老いた母上にお別れのメッセージを投下するために針路をシュテッティンに取った。そこからダンツィヒ、ケーニッヒスブルク、ティルシットを経てバルト海岸に沿って進み、午後6時にロシア国境を越えるように航行した。

そこからどうすべきであろうか?

エカテリンブルクでウラル山脈を越えようと思っていたが、その途中にモスクワがあった。乗船中のロシア代表は操縦室にいる私のところに来て、モスクワ上空飛行が絶対に必要であると強調した。

明らかにこの件を指示されてきたように見えた。彼の話によるとモスクワには「数十万人が、世界的に有名なツェッペリンの勇姿が現れるのを期待して待っている」と言うのである。ロシア政府がそう言わせているのである。

私はその時点で確答することを躊躇っていた。朝の天気予報では、南ロシアの天候は不確定であったので、とりあえず夕刻の天気予報を待っていたのである。夕刻に受信した天気予報では、カスピ海の北に低気圧域が発達しつつあり、遠く北にあるモスクワ方面にも強い東風を及ぼす可能性が示されていた。

もし首都に行くとすれば向かい風の準備をしなくてはならない。首都に行くためには北上する必要があるが、私にはルートに従って快適な西風で平穏な航行を維持するためのあらゆる権限が与えられている。

さあ、どうしよう?

私にはロシア代表の申し入れが、モスクワ市民をいらいらさせたり失望させたくない「政治的な」要求であることはよく判っていた。一方で航行条件には、飛行距離が長く燃料には制限があるので最良の天候状態で飛ばなくてはならない。

フリードリッヒスハーフェンで100時間分の燃料を搭載した。それは穏やかな状態で約1万1千kmの距離に見合う量であった。当然ながら速度の減少に対する一定量の余裕は必要で、それほど強い向かい風に遭遇しなければ飛行時間は130~140時間までは延長することが出来た。しかし風の条件を正しく用い、掴まえた追い風によるメリットを利用することによって安全と余裕は確保されるのである。

私には政治的理由であろうがなかろうが、あらゆる条件に優先して航行状態を維持することが基本的方針であった。従ってモスクワを右舷側に残し、そこから離れて北に転舵することを決断した。

ロシア政府の代表は、怒り狂って脅すような言動に及んだがそれは何も功を奏することにはならなかった。

世界周航(5)

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