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陸を越え、海を越え

WeltFahrt

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

世界周航(2)

その場合、ドイツの新聞社はその差額の5万ドルを支払う必要があり、もしその補償が不十分ならこの話はなかったものとすると言うのである。この二律背反に対処するために、商務相の意見を聞きに行った。この件に関してフォン・ゲラルド氏から聞いた助言は驚くべきものであった。

彼は私に、ドイツ情報局(ヴォルフの電報局)にヨーロッパの報道権を与え、その見返りに2500ドルと設定された乗客1人分の乗船料を取ればよいと考えたのである。まるまる5万ドルの費用を負担しなければならない。2500ドル差し引いたとしても47500ドルである。

そして政府資金からの補償は問題外であった!当然、大臣の提案には同意しなかった。その代わりに3社のドイツ新聞社から合計で12500ドルを支払って貰う契約を結んだ。かつて仕事をしていた西ドイツの大新聞は1250ドルでも支払えないと返答してきた。彼らは馬鹿なのか?私はそう思った。

少なくとも情報筋によればハースト新聞の売り上げは思惑通りで、その企業の勝ち得た名声とはかけ離れているということであった。私はそれで、ハースト社の代理人カール・フォン・ヴィーガント氏とドラモンド・ヘイ女史を、様子の判らないまま記者として乗船者に加えることにしたが、実は並々ならぬ存在であった。

これで費用の半分は何とか見通しがついた。残りの半分は、この飛行に大変興味を持っている気前の良い切手蒐集家に掛かっていた。乗客の中には多くの新聞記者がおり、そこから考えられぬ程の額が受け取れるわけではなかった。あれやこれやで、その飛行から4万ドルの利益が見込まれた。

新聞社や官辺との交渉の間、飛行船はどのルートを取るべきか、なかでもその旅が安全に実施できるかについて重要な問題点を調査した。

考えられるルートは2つあった。一つは地中海経由インド洋、シナ海に出るコース、もう一つは中央アジアの高い山脈の北を通り、バイカル湖を横切ってアムール渓谷に沿って満州に出て、北部中国を横断して日本に至るコースである。さらにもう一つ、中間の言わば直接ルートが考えられるが、北部インドとバイカル湖の間に存在する非常に高い山岳地帯があるので問題外であった。

当初、インド洋を渡る最初のルートを重点的に検討した。しかし、このコースは非常に長く、1万5千km近くに及ぶ。これは平穏な天候で、経済速度を維持できればグラーフ・ツェッペリンの行動半径を超えることはないにしても、シナ海の天候状態は非常に予測し難く、例えば台風の周辺など好ましくない風のなかでは燃料切れを起こす可能性があった。

それで バイカル湖、アムール渓谷を通る第二ルートに着目した。距離は僅か1万kmと相当に短い。高度に関しても晴天ならば問題を起こすおそれはない。しかし、まさに限界状態であった!もし、雲か霧に遭い中央アムール渓谷で方向を失ったら、アムール川の南北両側に聳える高地を避けての航行は非常に難しくなる。飛行が惨事に終わらないとも限らない。特に飛行の予定されている7月は、しばしば台風がシナ海から大陸を越えて襲来し、北東中国全体と満州に雨雲をもたらす。

従って別のルートをたどることにした。すなわち、中央アジアとシベリアを横断してヤクーツクまで行き、高さ2000mのスタノボイ山脈をフォートアヤンで越えてオホーツク海に出るコースである。その後、最後の3000kmを概ね南に取り、長いサハリン島とアジア大陸の間を東京に向かうのである。

ちょっと見たところ、少し変わったルートに見える。南ドイツから斜めに中央ロシアとシベリアを横断し、東京より3000kmも北の、北極圏に近い地点を通り、そこから3000km南下するのである。

しかし一見したときに奇妙に見えるだけで、オホーツク海までの距離の4分の3は、ほぼ大圏コースと呼ばれる地球上の2点間の最短距離であり、そのためこのルートの約1万1千kmはアムール渓谷を通るコースの1万kmに較べて僅かに長いだけである。

そしてこのコースは、より安全であった。近づくことが出来ず、殆ど未知のシベリア奥地には非常に興味があり、我々自身 冒険に心躍る心地であった。

それでこのコースを選択した。

世界周航(3)

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