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陸を越え、海を越え

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Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

エジプトへのセンチメンタル・ジャーニー(4)

このあと、大変な悪天候に巻き込まれた。プラッテンゼー(バラトン湖)上で非常に強い風が吹き、ウィーンとプレスバーグ(ブラチスラバ)の間をダニューブ(ドナウ)川が通過しているあたりでは対地速度が非常に遅くなり、ウィーンに着いたのはブリザードの吹き始める真夜中になっていた。

ウィーンでは、午後11時から飛行船を待っていてくれた。ラジオの聴衆は飛行船がウィーンの上空から行うスピーチを待っていたのである。ウィーン市民も、この飛行船を建造するにあたって義捐金を寄せており、その感謝のイベントがあると思っていた。

私は、自分でそのスピーチをすると言っていた。しかし、ウィーン上空に到着したときは操船で眼がはなせなかった。前日の緊張のあと 特に最後の2~3時間は、ウィーンの善良な市民は私が約束を守らなくても仕方がないと思ってくれるのではないかと、ちょっと思いかけた。それで、乗船していた帝国議会議長のローベ氏に、私の立場を説明してくれるように頼んだ。

彼は親切にも私に代わってスピーチをしてくれ、私よりもずっとうまくやり遂げてくれた。あとで聞くと、ウィーン市民は彼のスピーチに充分満足したということであった。彼も満足したに違いない。

その間にも暴風雨はひどくなっており、全く冬のようであった。ゲーテがファウストのなかで書いたような「緑の草原に小さな氷の粒が吹き付けてくる」程度の話ではなく、本格的な冬であった。

まだベッドに入っていなかった乗客は重いコートで再び身を包んでいた。湿気を帯びた雪が操縦室の窓ガラスに凍り付き、5mm程度の氷の層を作ったので外が見えなかった。このような状況での深夜の操船は危険であった。

両側に高山の聳えるダニューブ渓谷でコースに従って飛行船の位置を保持することは困難であった。しかし、意識して個人的にはいらいらしたそぶりを見せなかった。それは視察委員に、飛行船がこのような悪条件の元でも、安全に航路を選択して進行することを見て貰おうと思っていたからである。

もし必要ならば、高緯度に向けて北に転舵することも考えた。しかし、非常に幸運なことにパッサウでダニューブ渓谷を抜け、何の支障もなく最後の区間に向かった。

ウルムに到着したときは晴れており、8時に格納庫が視野に入った。その半時間後、81時間の飛行を終えて着陸した。

乗客から感激に満ちた感謝の言葉を聞いた。

おそらくヨーロッパで体験できる最も素晴らしいと思われる、この飛行に乗船した人それぞれに強い印象を与えたに違いない。

その後、彼らはツェッペリン飛行船の真の意味の友人になってくれたと思っている。

そして、事実そうであった。

世界周航(1)

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