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陸を越え、海を越え

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Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

エジプトへのセンチメンタル・ジャーニー(2)

夜のうちに非常に強い南東の風によって飛行コースから幾分北にそれ、そのため大いに進行が遅れていた。南東風がこの長い島の北側に聳える山岳を越えるのを邪魔しなければよいと気になった。北岸に沿って静かに平穏に飛んでいたが、船上の権威ある学識経験者方は、この忘れられない光景を眺めていた。

同じように、航路上やや北にあるキプロス島も通過した。ここでは多くのローマ人、トルコ人、ベニスの人達、十字軍などが戦略的に重要な地域として攻防を繰り返していた。

そこからハイファに舵をとり、この美しく船の出入りの多い、湾に護られた港を横切った。そのあと、海岸線に沿ってテルアビブを通過し、エルサレムに向かった。

このあたりは世界史に残る無数の出来事が展開された舞台であり、クレタ島と同様に歴史と伝説に満ちた地域であるが、この光景を眺めてその感動を呼び起こすことは何と難しいことか!古いギリシャ文明や、聖書時代のキリスト教遺跡がそこかしこにあるが、それらに共通した礎が いまなお我々の精神的基盤になっている。

この広報飛行で、乗客にほかで経験することの出来ない特別な感動を体験して貰うことにした。死海の水面は海面レベルから約400m下にある。このツェッペリンで、海面下の高度を飛ぶ機会を前にして、体験したいという気持ちを抑えることが出来なかった。

エルサレムは海抜約800mであり、そこから15分で高台の縁になり、そこから峡谷に降りると、その底に死海があった。夕刻であった。昇ったばかりの満月が弱い光で静かに照らし、大きな湖は地下の世界のように神秘的に薄闇のなかでそれを映していた。

ゆっくり沈下した。注意深く感触を確かめるように下に下に降下し、水面上100m以下で空中に静止した。まわりの高地を地下室から眺めるように見上げた。

いつもは海面上高く空を往く飛行船が、いま海面下約300mで浮いていることに奇妙な興奮を覚えた。ライン産のワインを2本開け、この特別な経験に祝杯を挙げた。

後日、この時のことを単純ながら吃驚させる冗談に使った。友人の若い潜水艦長に新造艦の着任式に招待されたことがあった。

私は会食の席で乗組員に何か一言述べることになり、次のように話した。「ご承知のように、いつもは空を飛んでいるが、ときには飛行船のゴンドラに乗って海面上を行くことがある。しかし、私が諸君と同じように海面下を飛行したことはここで初めてお話しすることである。私は自分達の船で記録を作ったのであるが、それは諸君のUボートと同じではない。一度、機会があって飛行船で海面下300mを飛んだのである。」

若いUボート乗組員は大いに驚き、信じられないという反応を示したが、事の次第を説明すると大笑いとなった。

谷間でしばらく留まったあと、ゆっくりと元の位置まで上昇し西側に聳える垂直な割れ目の間の上を低く飛び、エルサレムの高台に向かった。その間、満月は高く昇り山の裂け目や岩だらけの地表に淡い光を注ぎ、複雑で混迷した迷路のような裂け目と、盗賊の隠れ家のような佇まいを見せていた。

エルサレムに立ち寄って別れの挨拶をし、「次はどうしよう?」と思った。エジプトのピラミッドは我々の南、このまま行けば僅か3時間のところにあった。そこを訪れることは、この旅のハイライトであった。しかし、外務省はエジプトの上空を飛行することを許可しなかった!

ただ、ファラオの国の海岸線に沿って飛ぶことは禁止されていなかった。ギリシャに到着するのは翌朝の早い時間ではなく、日光の降り注ぐ明るい時間にしたかったので時間は充分にあり、その海岸線を辿ることにした。それでエルサレムからは南に舵をとって出発した。明るい満月に照らされて、眼下にはむかしピラミッドの国と交流のあった広いキャラバンルートが延びていた。

国境に達して海上に進路を変更し、ポートサイドの燈台にまっすぐ進んだ。そこから海岸との距離6マイルに指定されたコースをたどり、アントニウスやクレオパトラを照らした有名なファロス燈台に向かった。さらに、ヨーロッパ文明に重要な意味を持つ幾つかの重要な遺跡に向けて飛行を続けた。これらの対象には解説が用意されていたのが嬉しく期待もされていた。

その日がちょうど過ぎ去るときの印象は強烈であった。ラヴァントの水面を横切るとき、心地よい振動と満月が鏡のように微かに照らす銀色の光線を受ける飛行船上で静かに快適に眠れることですっかり満足していた。北に旋回して船首をアテネに向け、翌日 古代ギリシャで沢山の光景や経験を期待しながら休息していた。

午前6時に、アテネの人達の朝の眠りをエンジンの音で起こして、アテネの街やアクロポリスを過ぎ、人々がトーガをまとって通りや広場に集まっていた遙かな時代に遡っていた。

まもなく古代ギリシャの神々が住まっていた小高いオリンポスの丘に来た。その斜面はまだ雪に覆われており、神々の鎮座する頂上は残念なことに黒雲に隠れていた。

ここで旋回して戻った。目的は有名なアトス修道院や、ホーマーの古代トロイからコンスタンチノープルに行くことであり、そこからルーマニアの油田地帯やウィーンの方向に戻ることにした。しかし、入電してくる天候状況はバルカン半島一帯が厚い雲に覆われているというものであった。従って、このルートでは多くを望めなかった。そこで向きを変えて、コリント湾から島々や海岸が眼を楽しませてくれるアドリア海に行き、トリエステに向かうことにした。

9時に戻ってきたアテネの街は、そのあいだに目覚めていたので熱狂的な歓迎を受けた。特に最初に来たとき寝ていて近所の人にからかわれた人はそうに違いなかった。

エジプトへのセンチメンタル・ジャーニー(3)

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