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陸を越え、海を越え

B035

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(10)

飛行船は陸地の上、具体的にはニューファンドランド山岳の上に居るはずで、この激しい嵐はこの山で阻止される筈である。これは一体どうしたことだろう?

ちょうど4時にレース岬から快晴という朝の天気予報を受信して、わずか3時間も経っていないのに、北に向かう進路から 270kmも離れていないのにこれほど吹かれるのだろう?雲がどこか切れていないかと下を注視していた。6時半、ひどいピッチングとローリングから脱して半時間経過した頃、下に広がっている雲の間から一瞬、下が見えた。雲の穴から、最初には見えなかった低い月の鈍い光の中で何かが見えた。

それは崖のようであったが、特に視力のよい者を運転席に立ててそれを見極めようとした。最初に低く横たわる雲の断片、霧の薄い広がり、泡立つ波を報告してきた。当直と相談しながら、よく判らないまましばらく経ったころ、雲の大きい穴からはっきりと岩山の上にいることが判った。同時に、4時以降 東に舵を取っていたにもかかわらず北に猛スピードで走っていることを確認し、改めて東に針路を取るように指示した。

まもなく、偏流のために右か左に振られていることが明らかになった。嵐は南南東から秒速33~34mで吹いていると判断した。速度を落として時速90kmにして、時速29~32kmで後退することにした。これは価値ある発見であった。

しかし、まだニューファンドランド上空で、どうすればいいのか思いつかなかった。どのくらい南からの強風で北に流されたのだろう?先に述べた方法で4時に観測した風を計算すると秒速15mであった。間違いないと思うがおそらく、霧の中を高緯度まで昇り、そこで秒速34mの強風に遭遇したに違いない。それから約2時間半経過していた。

推論すると、約340km北に流されており、ニューファンドランド南岸上空にいることになる。風力測定にしたがって針路を当初の東から南東に変更し、偏流角90度として地表に対して北東にコースを設定した。

徐々に霧も晴れ、昇ってきた満月の明かりでゆっくり地表が眺められた。樹の茂る小さな島の並びの上を飛んでいた。開水面を横切ると遂に広い湾に出た。南東に燈台の光芒が光ったが、南岸のどの燈台もそんな光は発していなかった。

もうそれ以上陸地は見えず、コンセプション湾かトリニティ湾のいずれかを越えたと思った。両湾は北東に開いていたからである。

帰国してから、これに関して掲載されたニューファンドランドの新聞を読むと、10月29日の夕刻、トリニティ湾で何人かの漁民が雲の中に巨大な飛行船を見たと書かれていた。霧の中に入った午後4時から、トリニティ湾上空を飛んだ8時までの航跡を辿ると、南からの強風で480km近く北に流されたことが判る。事実、風はこの間ずっと平均時速30mで吹いており、これはビューフォート風力階級10から11の強度に相当する。

この飛行は気象学者の間で何度も討議されており、あるデンマークの気象学教授は、天候がそれほど悪くなる筈がなく、我々の報告が大変大袈裟になされたことが原因であると固執した。月曜の朝の天気図も、火曜の天気図にさえレース岬の嵐は予想されていなかった。しかし、我々の私的ではあるが正確なニューファンドランド上空の観測と、東向きコースを進んでいる間の驚くべき偏流には反駁することが出来ないと思うし、事実月曜の夕方、数時間ハリケーンによる荒天に捉まった。その夜、レース岬の南東240kmにいた英国汽船から、同船の位置のあと簡潔に「ひどい南東の強風」とつけ加えられ発信された無線を受信している。当方からは「ありがとう。こちらも同じように強風を受けている」とのみ返信し、強烈な冒険に立ち向かったのである。

しかし、この件で2つの貴重な教訓を得た。第一に、ニューファンドランド沖の海域では、冷たいラブラドル海流と暖かいガルフストリームが混じり合い、特に強烈に突然天候が急変し、気流条件によっては嵐となること、第二に、我がグラーフ・ツェッペリンはそんな条件にも耐えられると言うことである。その異常な応力で船体構造を支えていた張り線が幾本か破断してしまった。

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(11)

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