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陸を越え、海を越え

DeutschlandII

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

序(2)

この企業活動の成果は驚くべきものであり、簡単に多額の資金を得ることが出来た。多くの大都市の市長はとても熱心にDELAGの役員になりたがったが、結局20人以上が加わり、それぞれの市長が自分の街に飛行船格納庫を建設するために走り回った。なぜならツェッペリン航空路は大きな都市を結ぶ計画であり、それに乗り遅れまいとしていたのである。フランクフルト、ケルン、デュッセルドルフ、バーデン・バーデン、ミュンヘン、ライプチッヒ、ドレスデン、ハンブルクが最初の飛行船基地に手を挙げた。

それらは徐々にその目的を達成して行ったが、途中で失敗したところもあった。維持・運営の難しさは予想を超える場合もあったのである。そして残念ながら私もその責任を負わねばならない。なぜならそれら市長の楽観論は、その前の4年間に私が行った広報活動の結果でもあったからである。

しかし「すべての結果は最後に清算されるべきである」し、現時点では個人的にツェッペリン飛行船の可能性を証明することの困難を背負っていると思う。このことで成功を勝ち取るまでには幾夜も眠れぬ夜があり、悩んだ時期があった。

最初のDELAGの飛行船「ドイッチュラント」はデュッセルドルフからの最初の飛行で、トイトブルクの森で難破した。その飛行船は激しい西風に立ち向かうには低速に過ぎ、とりわけエンジンの1基が故障したことが原因であった。

代船が就航したが「ドイッチュラント」の指令が不適任として解任された後、誰が指令を務めれば良いのだろう?コルスマン氏は私にやってみないかと打診してきた。当然、私は同意した。なぜなら私はいつもツェッペリン飛行船に寄与したかったからである。私は「飛行船運航部長」となり、DELAGの飛行船船長になった。

解決すべき3つの課題があった。
第1は、横風の吹くなかで格納庫から引き出し、あるいはこれに収容するときの難しさと危険性を解決する必要があった。
第2は、有能な操舵手を育成し、壊れやすい飛行船をうまく着陸できるようにすることである。
第3は、正確に天候の予測が可能な、有効な天気予報を提供できる仕組みをつくることである。
私はこれら3つの課題は解決できると信じていた。

しかし、常に限界状態で、乗客が飛行船の周りに集まっていらいらしながら乗船合図を待つなかで、強い風を横からあるいは正面から受けながら、今にも崩れそうな空模様を見ながら、あえて飛行船を格納庫から引き出す決断を下さなければならなかった、何にも喩えがたい気の重い心情を決して忘れることは出来ない。

飛行中止はとんでもないことで企業経営に悪影響をもたらし、無責任な決行は飛行船を危険にさらすことになる。何度、こんな状態で飛行船船長になった運命を呪ったことだろう。

あるとき、私が飛行船船長に就任して間もなくのことであるが、大勢の観衆が押し寄せるなか、船内には満員の有力者や重要人物たちが、風向きの良くない状態にもかかわらず飛行船を格納庫から引き出すよう要請したが、それは飛行船を危険にさらすことであった。私が優柔不断な決断をした結果、飛行船を殆ど完全に作り直すほどひどく破損したことがあった。それ以来というもの、そのような一時の感情による行動は取らなくなった。

序(3)

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