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陸を越え、海を越え

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Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(7)

アメリカでは、我々を出発時点から非常な関心をもって見守っていた。飛行船の受けた損傷の記事が海軍省の電報の報道で広まり、それを知って非常な緊張で待ち受けていたのである。着陸後に知ったことであるが、否定もされずに何時間も広まっていた最も突飛な噂は、損傷の修理が長引いたことが原因で減速したことを連絡できなかったというものであった。

飛行船に電力を供給する発電機は、気流でまわるプロペラで駆動されていた。それが異常な緊張を大きな安心と助かるという気持ちに変える唯一必要なものであり、そのために大喜び出来たのである。損傷を受けながら飛行を達成した飛行船は、大惨事を予測した人達から非常に評価された。こうして不幸な出来事は幸運な結末を迎えることが出来た。

ワシントン上空を低空で飛行し、ボルチモアからフィラデルフィアをまわり、ニューヨークに来た我々の到着を熱狂して待ち受けていた人達の様子を見ることが出来た。レークハーストに着陸する前に半ば諦め失いかけていた飛行船を、多くの人に見て貰ったことは良かったと思っている。

ニューヨークからおよそ100km離れた目的地レークハーストに着いたときは暗くなっていた。2万~3万の人々が根気よく待っていてくれて、我々の歓迎は嵐のような熱狂であった。歓迎と歓呼とエールが声高に叫ばれるなか、嵐に揉まれるように地表に降り立った。群衆は警官の厳重な警戒にもかかわらず着地するやいなや、荒海に寄せる波のように飛行船に押し寄せた。まわりに取り囲まれて飛行船も人も身動き出来なかった。

幸いなことに風は全くと言っていいほど静かであった。飛行船は比較的静かに静止していた。多くの女子供を含む多くの群衆は激しく騒ぎ始めていた。いつもは常識のあるアメリカ市民も、熱狂で完全に手に余る状態であった。いろいろな出来事のあと、非常に意義のある航路開拓をなし遂げた飛行船がバンパーをアメリカの大地に接した瞬間であったが、私は興奮した群衆を見下ろして微笑んでいた。

大きなものから小さなものまで沢山の招待が押し寄せてきたが、その中に非常に熱心に、中西部へグラーフ・ツェッペリンで飛来して欲しいという招待があった。度重なる要請にとうとう、船尾の補修が終わったあとで、もし可能であれば中西部に飛行しようと約束した。すると直ぐに何十人もの人が乗客として飛行したいと希望して押しかけてくる始末で、新聞には西部の大都市はすべて飛行船の飛来を熱望していると掲載された。

残念ながら彼らの望みは叶えられなかった。尾翼の修理は12日以上を要することになり、もうすぐ11月になろうとしていた。天候は大変予測し難いので、レークハーストの格納庫からフィールドに引き出すときに飛行船に何が起きるか判らない。それで突然、中西部への飛行キャンセルを決断し、10月28日の夕刻 帰途に就くことに決めた。

出発のとき天気は良いだろうか?多くの人が見送りにやってくるに違いない。彼らの前で事故は起こしたくない。

昼にニューヨークとロングアイランドの間をモーターボートで渡って、ロングアイランドの素晴らしい邸宅に友人を訪ねた。途中で冷たい北風が耳元で鳴った。出発時にトラブルが予感される。北風は夕方まで止みそうにない。

午後戻るとき、事態はもっと悪くなっていたので、遅れないようにレークハーストまで車で帰り、準備状況を確認した。格納庫の中では乗組員と乗客の幾人かが飛行船のまわりに立っており、郵便物と手荷物は積み込まれ、みな飛行船を引き出す最終決定を待っていた。

状態はあまり良くなかった。比較的強い毎秒8~10m程度の風が格納庫を吹き抜け、長大な飛行船を引き出すことは出来なかった。そのうち風がおさまるのを期待して、午後8時に予定されていた出発を深夜まで延期した。

それで乗客は辛抱したが、2~3百人の頑固な人達以外の群衆は徐々に帰宅したことは結果的に良かったと思っている。

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(8)

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