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陸を越え、海を越え

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Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(5)

既に飛行船が非常に悪い天候状態にも持ちこたえることと、海上での驟雨は陸上に降る場合ほどひどくならないことを知っていたので、そのことよりも、数時間後に起こる事態に大きな緊張を感じたと認めざるを得ない。それも理論上のことであり、実際の経験で確認されなければならず、その意味では経験が不足していた。

その後、1時間か2時間 穏やかな天候のなかを飛んでいた。北の嵐は全体的に後方に残ったが、蒸し暑く南風が強くなってきた。これは大変嫌なことであった。何か起きたとき、気圧や風速など気象データに惑わされることがあるからである。

そして事実、朝6時前に前方に青黒い雲の壁が脅かすように居座っていた。それは飛行船の前方に凄い速度で北西から押し寄せ、グラーフ・ツェッペリンは75ノット(時速140キロ)の全速でそれに向かって突進した。グラーフ・ツェッペリンの構造に手厳しい試練が待ち受けていたのは明らかだった。私は最も経験のある昇降舵手ザムト氏を呼びにやり、経験の浅い操舵手に代わって操縦してくれるように頼んだ。

しかし、操舵手が交替する前に、飛行船は船首を下げ、一瞬ののち突然上向きに持ち上げ、15度以上の傾斜で船首が持ち上がった。この傾斜で、当直はデッキを滑り降り、狂乱状態になった。朝食のテーブルにセットしてあった食器類は滑り落ちて砕け、キッチンポット、フライパン、湯沸かしなどが音を立ててコンロから落ち、デッキ上のカップボードやドアにぶつかった。

この雷鳴が激しく鳴る騒音のなかで、船体構造が砕けることなど想像することさえ出来ない。黙って、次は何が来るかと互いに様子を窺った。しかし、何事も起きなかった。その後、船体を上下左右に揺らしながら驟雨の中を2~3度飛ばなくてはならなかったが、何とか飛行船を制御し、まもなく嵐も収まってエンジン出力を半減させて前進を続けた。

私は非常に満足であった。この蒸し暑い大海で、おそらく北大西洋で最も過酷な驟雨を乗り切ったのである。あのとき、船尾が持ち上げられた主な原因は、不慣れな昇降舵手が、船首が持ち上がり始めたときにそれを押さえる操舵が遅れたためだと思っている。こうして船首の持ち上がりを体験し、経験を積んだのである。

グラーフ・ツェッペリンが船尾を持ち上げたあと1時間近く、吹き荒れる暴風雨の中を進んだ。飛行船はずぶ濡れとなり、終いには天井からキャビンに漏水し、操縦室では水の中に立っていたので靴も靴下も脱いでいた。

しかしこれは、単にささやかな一時的なトラブルであった。たとえ減速してもグラーフ・ツェッペリンは 6~8トンの雨水を載せて飛べるのである。全速では 12トンの過負荷でも飛び続けることが出来た。最悪の場合でも生き延びられると思った。

常に状態を監視している飛行主任のグレッチンガーが操縦室にいる私に報告に来た。左の尾翼の底面を覆う帆布が裂け、残ったその端布が昇降舵と尾翼の間に絡まりそうであると言う。これは非常に深刻な事態であった。

しっかり取り付けられた水平尾翼の上面を危険にさらしても飛行船は操縦が続けられるであろうか?この状況での危険性を考慮して、非常に難しい決断をして無線でアメリカ海軍省に駆逐艦のような高速艦を、我々のいる海域まで派遣して欲しいと依頼する電報を発信した。意地や誇りにこだわらず、乗客のために敢えて依頼したのである。

その艦が到着するまで、少なくとも3日は掛かると思われた。ちょうどスペインと北米沿岸のほぼ中間点におり、どちらからも1800浬程度の距離であったが差し迫った危険はなかった。必要ならば操縦不能の状態ではあるが空中で定点に浮遊していることが出来た。

次の段階は、乗客・乗員をめまいを起こすことなく安定した水面に降ろすことであり、損傷を精査し、補修を試み、最低限でも被害の拡大を防ぐことであった。その間、損傷した尾翼を傷めないように低速で目的地に向かっていた。

次に乗客を訪ねた。どのように、この厳しい経験から立ち上がったかを知り、状況を説明するためである。彼等のうち、幾人かはすっかり落胆して怯えていたが、確信に満ちて見える人もいた。後者のなかでも、特に小柄なハースト新聞の記者、ヘイ女史は際だっていた。彼女はにこやかに挨拶し、床に落ちた陶器の破片を見ながら「伯爵さまには驚きましたわ。とても気難しくて機嫌を取るのにお金がかかるのですね。でもこの際、カップやお皿を気にしてはいられませんわね。」とつけ加えた。

あとで聞けば、陶器がテーブルから落ちたとき、感情を抑えて、友人であり同僚のフォン・ヴィーガント氏に「カール、早く来て。タイプライターが机から落ちるわ!」と呼んでいたという。そんな冷静さが、特に女性の場合、パニックの広がりを抑えてくれるものである。

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(6)

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