LZ127Profile

陸を越え、海を越え

Bild132

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(4)

次第に夜になってきた。暗く神秘に包まれた険しいスペイン海岸の岩壁がぼんやりと、飛行船の明かりで辛うじて見えていた。明るく輝く光の海はバルセロナであった。ギラギラ光る広告塔は夜の街に活気を与えていた。街と港を低く周回して郵嚢を投下した。そのなかには途中で投函されたジャーナリストの記事や、乗客の書いた葉書も入っていた。

バレンシアは遠く地平線に微かに見えた。真夜中にかけてスペイン南東端のパロス岬とガータ岬をまわり、そこから西へジブラルタルに向かった。

1時間後に明るく輝くセウタ燈台とジブラルタルを正面に見て、払暁に海峡を抜け太平洋に出た。再び眼下に、これから我々の飛行船の能力を証明する舞台が見えた!ちょうど4年前、ZRⅢで渡った波乱に富んだ飛行の記憶が鮮やかに蘇ってきた。この広漠として、意地悪く予測できない北大西洋で、今度はどんな出来事に出遭うのだろう。

渡洋飛行は順調に快適な飛行を続けており、嬉しいことに南回りルートをうまく短時間で横断が期待できるほどであった。フリードリッヒスハーフェンを出発してから地中海まで、それに地中海上空のほぼ全域で受けていた時折強くなる向かい風は、洋上に出ると徐々に好転しているように見えた。

ジブラルタルを過ぎて1時間後、海面は弱い北北東の風に波立ち、有名なポルトガルの「ノーザー」が吹き寄せていた。やがて風はどんどん東に向きを変え、ジブラルタルから3時間後には、強い北東の風に押されて対地速度は75~80ノットになった。空には雲もなく、周りじゅう青く輝く海が広がり、時折白い波頭が飛行船と一緒に動いているように光っていた。強い西風域から脱したのである。

針路をマデイラにとった。

このルートは南を通り、長く東風が吹くので速度が上がり、距離は長いけれどもそれを補ってくれることを期待してこのコースを選んだのである。

現地時間の午後1時には、靄のなかから浮かんでくるマデイラの山が見え、まもなく緑の葡萄畑と白い別荘とグロテスクに角張った絶壁と渓谷の、優雅な楽園の島が日差しを浴びて眼の下に見えた。人々が家から走り出し、大声をあげたり手を振ったり、頭上の大鳥を見上げて大騒ぎしている、蟻の巣のようなフンシャール港に近づいた。ここの人達も新聞で見たことのある、このとてつもなく大きい飛行船が何の前触れもなく現れたのである。これから数年間、この島の人は南米航路に就航したグラーフ・ツェッペリンを何度も見上げることになる。

記者や乗客が手紙や葉書を書いたので、ここでも郵嚢を投下した。

それから8~10時間、同じように快適な飛行を続けていたが、夕方遅くにはアゾレス諸島のテルセイラの南約250浬に来た。天候情報を得ようと、その島の無線局と交信を行った。そこで得た情報は、あまり嬉しいものではなかった。大西洋沖の低気圧から南に延びた驟雨前線がその島に近接しつつあるということで、我々も悪天候を覚悟しなければならなかった。

1時間後にはひどい雷雨のためにその局との交信が途絶してしまった。事実、北の夜空に鮮烈な稲妻を見たが、それは徐々に強くなっていた。

真夜中にかけて、北天全体が絶え間なく炎のような稲妻に覆われていた。それは壮大な光景ではあったが、同時に気掛かりでもあった。

どうやら冷たい気流がずっと南まで及んでおり、いずれ飛行船も捉まるだろうと思った。我々の局地観測では、飛行船に好影響をもたらしていた東よりの風が弱まり、南に向きを変えたに違いないと思われた。明らかに、気象擾乱が行く手に横たわっており、間違いなく驟雨前線が北のサイクロンから押し出されて、この南海上空の湿った気団が乱気流を起こしており、驟雨が来るものと考えねばならなかった。

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(5)

陸を越え、海を越えのはじめに戻る

トップページに戻る