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陸を越え、海を越え

LZ127PC002

Hugo Eckener著 "Im Luftschiff über Länder und Meere"(続き)

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(2)

ほかの方向についても代案を考えた。最も短く、最も北寄りのコースで、北部スコットランドを越え、アイスランドの南岸に近い航路である。今回はこのルートを選んだ。しかし当時、我々の航法はまだ原始的なものだったので、危険性を伴っていた。飛行船が、スコットランドやアイスランドの高い岩山にそって、晩秋の霧と低くたれ込める雲のなかを、船位を正しく確認することも出来ず、暗中模索している情景を想像した。

いや、これほど危険な実験の対象になってるとも考えていない20人の乗客は、客を乗せて海洋を渡る最初の飛行に、確信を持ち信用してモルモットになるのである!それは、最初の賽の目に賭けるには高価に過ぎた。このように、長い南ルートの難所と、環境的に非常に危険な北ルートとの間でためらい、落胆し、迷っていた。

この二律背反のなかで、突然10月10日に予定されていた出発を延期することを決断し、もし11日までに天候が回復する微かな望みでもなければ南ルートを取ることにした。このまま、さらに躊躇していれば飛行船の信用が疑われると思ったからである。

当然ながら1日と言えども延期は、出発を見ようとここに来る数千人の人々や、ホテルその他フリードリッヒスハーフェンの各施設にとっても好ましいことではない。多くの人が「飛行船旅行の運航の規則正しさと、スケジュールの正確さを見ようと思っただけなのに!」と言いつつ留まり、一部の人は腹を立て憤慨して去っていった。

賢い人は、ちょっとのことで揺れ動く大衆の意見にかかわりを持たず、さらに賢い人は、この意見が後に大きな重みを持つことを見抜いていた。煽動者は、それをどう扱うか心得ており、その利権にありつこうとしていた。そして、実際に庶民の一部はグラーフ・ツェッペリンの建物に押しかけた。

それで渋々ながら飛行を延期した。しかし、結果から見ると私は運がよかった。10月10日に激しい雨を伴った物凄い嵐がフリードリッヒスハーフェンを襲ったのである。

誰もこの天候ではとても飛行船は飛び立てないと判り、私はひどい天候を予測した優れた気象学者だと褒められた。これが実績となって、出発地点の天候状況を信頼してくれるようになり、特に私については長距離の飛行中も信頼して貰えるようになった。

しかし、この空模様では出発しようと思ってもどうしようもなかった。激しい風が格納庫の出口から吹き込み、飛行船を搬出することは出来なかった。

そのときの疑問は翌朝も同じような状況だろうかということであった。その日は一日中吹き荒れており、夜 就寝するときも風が寝室を音を立てて通り抜け、雨が激しく窓を打っていた。このように気の休まらない夜は過ごしたことがない。屋根にあたる風の音と、窓に打ち付ける雨を聞きながら一夜を過ごした。

1時間ごとに起きあがり様子を見て、神が飛行船操縦者の私を怒っていることを感じながら床に戻っていた。やっと午前5時に嵐は弱まり始めた。とても睡眠どころではなかった。

服を身につけて庭に踏み出すと、ありがたいことに殆ど静かになり雨も上がっていた。

グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(3)

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