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最初の訪米飛行(1928年10月11日~11月1日)

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第4・第5日目(10月14~15日)

尾翼に損傷を受けた10月13日とその翌日は、概ね順調な飛行を続けた。
しかし14日の夕刻に、バーミューダ・グループと呼ばれる気団に遭遇している。
強い西風で、前方に相当大きな擾乱があり、また強い驟雨が予想された。
エッケナー博士は大きくフロリダまで迂回することを考えたという。
その場合、10~12時間飛行時間が長くなるので燃料の消費が心配であった。
このあと、どのくらい向かい風で燃料のブラウガスを消費するか判らない。
エッケナー博士は迷った末に当直士官に、補修した船尾の外被が驟雨の中の激しいピッチングに耐えるかどうか意見を聞いている。当直士官は判断しかねていた。

博士は悩んだあげく、その驟雨の中を進むことを決心した。
真夜中、飛行船はその乱流の中で激しく上下に揺られ、雹混じりの大雨がキャビンの壁や窓に吹きつけた。
しかし尾翼の外被は、朝になって小さな破れを見付けた程度で持ちこたえていた。

この暴風は1時間程度で収まり、その後風は秒速12~15m程度になったが、驟雨域の気温は23℃から8℃に下がっていたという。
このように温かい気団と寒冷な気団がぶつかり合った時は異常に激しい乱気流が発生するものである。

それを乗り切って、15日の朝にはハッテラス岬まで順調に飛行を続け、午前10時頃チェサピーク湾で海岸線を越えて、ついに米大陸に来た。

同湾を横切って首都ワシントンに向かった。

12時20分にワシントンに到達して上空を低空で旋回し、メリーランド州ボルチモアには午後1時、ペンシルバニア州フィラデルフィアを午後2時40分、ニューヨークには午後4時に到達し、100km離れたレークハーストに着いたときは暗くなっていた。

アメリカではフリードリッヒスハーフェンを離陸したあと、高い関心でその動向を見守っていた。
大西洋の真ん中でアメリカ海軍省に救難船を要請し、それが報道されて心配していたのである。
グラーフ・ツェッペリンからその後の連絡がないまま、予定到着日から2日以上音沙汰がないので様々な噂が飛び交っていたという。
エッケナー博士は、その著書の中で無線室の電源は風力発電機なので、その後の経緯を送信できなかったような書き方をしているが、グラーフ・ツェッペリンの操縦室と乗客区画のあるゴンドラの後部にはそのほかに2基の発電機と蓄電池があり、非常用ガソリン発電機もあったはずである。
おそらく、外被の応急処置や、操縦室の浸水、ダイニングやギャレーの後片付けなどで、救難船の出動要請を取り消したあとは状況報告など念頭から消えていたのであろう。

とにかく無事に9926kmを111時間で渡りきったのである。

レークハーストには2~3万人の人々が歓迎していた。
風はおだやかで飛行船は比較的静かに静止し、午後5時38分に接地した。
群衆は警官の厳重な警戒にもかかわらず飛行船に押し寄せ、しばらくは飛行船も人も身動きも出来なかったという。

この飛行には密航者がいた。
クラレンスという19歳の男で、グラーフ・ツェッペリンの乗組員が付き添って、フレンチラインの汽船イル・ド・フランスで送り返されている。

翌日はブロードウェイをオープンカーで紙吹雪の舞う中を凱旋パレードが行われ、エッケナー博士らは、その明くる日ホワイトハウスに招待を受けている。

エッケナー博士は3代にわたるアメリカ合衆国大統領と会見しているが、このとき彼を迎えたのは、第30代大統領ジョン・カルヴァン・クーリッジ・ジュニアであった。
次にレークハーストに飛来するのは、翌年の夏に世界一周で、サンフランシスコを経てロサンゼルスに着陸し、サンディエゴ・エルパソ・カンザスシティー・シカゴ・デトロイト・クリーブランド・アクロン・ニューヨーク上空を通って飛来したときである。
そのとき彼を迎えたのは31代のハーバート・クラーク・フーバー大統領であった。

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