LZ127Profile

LZ120:ボーデンゼーおよびLZ121ノルトシュテルン

LZ120_3

2. LZ 120 BODENSEE entsteht

2. LZ120 「ボーデンゼー」の誕生


2.3 完成した飛行船とその特性

ツェッペリンコンツェルンの従業員だけでなく、よそ者の職人や見馴れていた住民たちにとって新しい飛行船は尋常ではない、奇妙なものに見えたに違いない。それは格納庫の巨大な空間のなかで、あまりにも小さく、短く、ずんぐりとした様相を呈していたからである。(それとは対照的に)従来の長くほっそりした海軍飛行船は、格納庫をほとんどいっぱいに満たしていた。
それを見た多くの人は、そのかたちを「不格好」だと思った。事実、その飛行船の長さと最大船体直径との比率、いわゆる伸長比は、今日に至るまで最小値を記録している。
それまでに建造されたものはすべて8.2から10.6倍長く「太かった」が、LZ120の伸長比はわずか6.5であった!
LZ127:グラーフ・ツェッペリンでは、その値は(建造用格納庫の寸法の制約により)7.8であり、LZ129:ヒンデンブルクは5.9にしかなっていない(理想的な流線型はほぼこれに相当する)。

それは次のように説明することも出来る。「ボーデンゼー」は、それまでにツェッペリン工場で建造された最も短い飛行船であったが、その直径は最初の40隻よりも大きかった。LZ120の最も重要な特徴は即座に挙げることが出来る。すなわち、浮揚ガス容量は2万立方メートル、長さ120.8メートル、最大直径18.7メートル、最大高さ21.6メートル、最大幅(尾翼にて)20.0メートル、自重13650キログラム、載荷重量9600キログラム、総出力720キロワット、最高速度毎時130キロメートルであった。

本書付録の表は、本稿で取り上げるすべての飛行船の重要なデータを比較するために添付したものである。ここでは(延長前の)LZ120:「ボーデンゼー」と、1913年5月に完成したDELAG旅客用飛行船「ザクセン」の比較も示している。

「ザクセン」は殆ど同じ容量(19600立方メートル)で、ずっと長く(142メートル)、とてもほっそりしていた(最大直径14.9メートル)。自重は15トンで、載荷重量6.3トンで20人の乗客を乗せることが出来た。その最高速度は時速76キロであった。それもそのはずである。その動力は、わずか355キロワットしかなかったのである。
時速130キロに到達するために「ザクセン」がどのくらいのエンジン出力を要したかを3乗則に従って計算すると、「ボーデンゼー」の720キロワットに対して、およそ1750キロワット必要となる。そして、計算上は(飛行船の様々な側面を考慮に入れると)、ヤライの研究のおかげで、わずか6年間で、それまでの空気抵抗を4分の1に抑えることが可能になると見積もることが出来る。

より高い速度を追求するのは、飛行時間の節約や経済性のためだけでなく、安全性のためでもあった。たとえば、ボーデンゼー・ベルリンの区間を運航するには、毎秒15メートルの向かい風で飛行しなければならなかった。そうすると「ボーデンゼー」は巡航速度(対空速度)で時速120キロ、対地速度で時速66キロとなり、610キロの距離に9時間半を必要とした。
もし、この大胆な行為を「ザクセン」が行っていたとすると、対空速度で時速65キロ、対地速度で毎時11キロでしか飛行できなかったはずである・・・つまり、スケジュール通りに運航することは、速度の余裕と密接にかかわる問題なのである。

技術的な面に関心のある読者のために、LZ120の建造工事の詳細を述べておこう。
飛行船の船体は、船首から船尾まで17の部分で構成されており、縦通材で11本の強固な「主リング」によって結合されていた(主リングは、その前後に作られた飛行船とは異なり、飛行船の桁によって補強されていなかった)。これら17角形の相互間距離は、それぞれ10メートルであった。その間に、外形を整形するために補助「リング」が配置されていた。これらの3角(マレに4角)断面の桁はすべて、他のすべてのツェッペリンのように、針金細工でせせこましくデュラルミン材で構成されていた。3角断面の、最高で高さ1.75メートルの、人が歩いて通れる通路が、船首の20メートル後方から始まり、船体を通って船尾の手前10メートルまで延びていた。それは補強のために不可欠であり、点検や手入れのために手が届くようになっていなければならないすべての点を結び、(分岐点で)船側エンジンゴンドラへの降り口も設けられていた。

立体的に作られた方向安定板は、後縁で舵面を支えていた。安定板の面積は14.6平方メートルであったが、離着陸時に地面に当たって損傷しないよう、例外的に下部方向舵は(下部尾翼と同じく)6.5平方メートルに限定されていた。

船体表面の外被は(何ヶ所か補強された)綿布にセルラッカーを浸透させ、塗装されていた。ラッカーにはアルミニューム粉末が混ぜてあり、太陽の輻射をより反射し、飛行船が太陽熱で暖まるのを防いでいた。そのため、飛行船は銀灰色であった。
主リング張線のあいだには、膨らませた12個の円筒形ガスセルが隣接して収容され、浮揚ガスである水素が充填されていた。
それは「膜材」で構成され、何層もの積層した綿布を接着した牛の腸壁(「ゴールドビーターズスキン」)で出来ていた。それぞれのセルには下部に圧力調整弁が設けられ、その2つに1つはそれぞれ鉛直ダクトに開口があり、排出ガスが飛行船頂部の排気口(フーツェン)へ導かれていた。4つのガスセルにはガス噴出用の操作弁があり、索により操縦席から操作することが可能であった。

飛行船は3つの2翼プロペラで推進された。そのうち2つはそれぞれ直径3.2メートルで、船側ゴンドラの後端に装備されており、それぞれ1基のエンジンから伝動ギアに連結され、方向転換の操舵が可能となっていた。船体下部には船尾ゴンドラが取り付けられ、2基のエンジンが減速連結駆動(約2:1)で連動され、直径5.2メートルのプロペラを駆動していた。
ゴンドラは、当初既存の図面で作られることになっていたが、後にずっと幅の狭いものに作られた。LZ120が1基のエンジンを駆動するだけで充分な速度に達することが出来たので、中距離飛行に備えたエンジン修理が不要になったからである。

ここでエンジンそのものについて、詳しく立ち入ることはやめる。それに関してはデューアの著書でも参照されたい。その原動機は、1916年製の過給器付きマイバッハMbⅣa高性能エンジンで、その公称性能は高度1800メートルで190キロワットには届かず、180キロワットに調整された。
その6気筒エンジンの出力あたり重量は1キロワットあたり2.2キログラムで、燃料消費量は、毎分1400回転時キロワットあたり270グラムであった。
水冷のラジエーターはゴンドラ前部の調整可能な開口の後に組み込まれていた。

240キロのエンジンオイルは、それぞれ60キロ毎に樽に入れられて4基のエンジンの傍に置かれ、ガソリンは12本の円筒形の樽にそれぞれ260リットル(185キロ)ずつ搭載され、最大で2220キロとなった。それぞれのエンジンは、巡航速度では1時間あたり燃料を約45キログラム消費し、満載の飛行船は4基のエンジンで11~12時間(つまり1400キロメートル)飛行することが出来た。エンジン3基では約16時間(約1900キロメートル)航行可能であった。
前部の4個のガソリンタンクは非常用バラストとして投棄することが出来た。ボーデンゼーでは、それは一度も使われたことはない。
バラスト水に関しては、通路の傍に全部で4つの袋に、それぞれ1立方メートルずつ入れられており(通常、離陸時と着陸時に用いられる)、それに飛行船の前部と後部に、それぞれ100リットルの端を2重に縫った袋である「ホーゼ(ズボン)」が取り付けられていた。つまり、「ボーデンゼー」には最大で5トンのバラスト水を搭載することが出来たが、それは殆ど前例のないことであった。

郵便物、手荷物および予備品を置く場所は、船体中央部3分の1の範囲に、通路に沿って設けられていた。船体中央部には、当直明けの乗組員のための椅子と寝椅子、それに通路にはハンモックも装備されていた。

LZ120とLZ121に共通する外観上の特徴は、長大な操縦兼乗客用ゴンドラであった。小さな飛行船では、それはLZ127のような飛行船よりずっと大きく見えた。それは船首先端から30メートル後方から始まり、最大幅2.5メートルで長さは25メートルあり、そのおよそ5メートルが指令室に充てられていた。
その桁組みは3本の主リングで構成されていた。いくつかの仕切り壁が、地上での操縦の際に横からの力に対してそれらを支え、ゴンドラの底部、つまりゴンドラの船首下部で着陸の衝撃を吸収する「緩衝装置」の側面は格子桁で交差されていた。

指令室の船首前面には方向舵手の舵輪があり、その前に羅針儀があった。左舷船窓、つまり進行方向に対して側方を眺める位置に、昇降舵手の当直位置があった。そこからは船体傾斜を良好に維持することが出来た。舵輪の上方には傾斜指示計、高度計およびその他ガス嚢の状態を監視する指示計や把手、姿勢指示計、バラスト放出用およびガス調整弁の操作引き手があった。
気温、気圧、速度、高度などさまざまな計器類に加えて、操縦席にはエンジンテレグラフ -洋上船舶から導入され、エンジンゴンドラへの指示を伝達し、その応答を運転室に復誦する装置- が取り付けられていた。右舷船窓の下には航海用および記録業務用の海図テーブルがあった。
右舷側の2×5メートルのスペースは、通常料金の2倍支払った乗客用の「優先席」となっており、その左舷側は無線室であった。無線通信士は、アンテナ出力20ワット、波長300~1900メートル用の「通信用電気回路」で無線通信を行うことが出来た。アンテナには重錘をつけた長さ80メートルの電線を用い、それは風力で降下、巻き上げを行うことが出来た。電波の到達距離は500キロメートルに達した。波長150~2500メートル用の2球受信機と、モールス信号を受信する3球低周波増幅器付き -のみならず、後述することになるであろうが、初めて無線電話も装備されていた。さらに「ボーデンゼー」では、回転可能な枠付きアンテナによるアクティブ無線方向探知機の搭載が初めて試みられた。

電気設備についてもう少し述べておこう。
風力駆動による発電機が無線機器のための電力を発生させていたように、2つめの発電機は、船内電力のための電気を発生させた。
それによって投光器に電力を供給し、500ワットの電気コンロ、航海灯、および「1~50ヘフナー燭光の白熱電球による43の照明機具」に給電した。

デューアの根本的に重要な書籍「ツェッペリン飛行船製造社の25年」の第19図に5件のスケッチがある。そこには、その窓の外形からも識別できるように、後に建造された姉妹船、LZ121ノルトシュテルンのゴンドラが描かれている。残念なことに、そこには図の説明文として「LZ120(『ボーデンゼー』)の操縦兼乗客用ゴンドラ」と誤って表記されており、これが二次文献に多くの誤謬を生じる原因となった。
「ボーデンゼー」は、20人の乗客用として計画され、乗客区画は5つのコンパートメントから構成され、それぞれ僅か4名用の(窓に面した)固定座席だけが設けられていた。そこには、必要に応じて10基までの移動式籐椅子が設置可能であった。その区画は2つではなくたった1つの仕切り壁で仕切られていた。その通路開口は、船尾に通じるドアと同様に、長軸の中心に配置されていた。図23、31、33、38および48にはノルトシュテルン(図50)の客室との相違が明瞭に示されている。

そこには小さな机と網棚があった。マホガニー仕上げの調度品と真珠光沢の象嵌細工によって、そのスペースは念入りな仕上げのプルマン様式の雰囲気を醸し、また不可欠であった柱は細身だったため、ほとんど邪魔にならなかった。ゴンドラの船尾はずっと狭くなり、その右舷側には外に通じるドアがあり、その向かい側には小さな厨房設備のあるスチュワード用の狭い区画があり、その船尾側には洗面台付きの2つのトイレがあり、通路には乗船口に通じるドアがあった。

戦後初の飛行機の、狭くごく質素な気品を備えた「キャビン」の図を見れば、飛行船の観客が「ボーデンゼー」の客室の豪華さを、最高の賛辞とともに賞賛せずにはいられなかったことをよく理解するであろう。

ツェッペリン飛行船およびその価格を手書きで記入した当時の表には、LZ120は1012999マルクと鉛筆で追記されている。およそ100万マルクというこの価格は、1919年当時の貨幣価値として、LZ17「ザクセン」(1913年)の60万マルク、最後の海軍飛行船LZ109(L64)の290万マルクの価格と大まかに比較できるであろう。

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