LZ127Profile

「グラーフ・ツェッペリン」で世界周航

Eckener_2

第一区間

エッケナーの装飾

12時にシュテッティンに着いた。大きな湿地のような干潟。見事な造園施設。その近くには広葉樹林がある。
港の市場には沢山のカラフルな日除けが見える。エッケナーが前方からやって来て、私に目配せした。彼は、にこにこしていた。ヘイ女史が自分の船室から出てきた。
彼女はフーゴーを見て、彼の手にした赤いバラを彼の服に留めた。我々の船長はその一部始終を、驚いた様子で見ていた。
私は、彼が「まあ、よくやるよ」とつぶやいたのをはっきりと見た。だが、それは我々の旅に同伴するジャーナリストたちの無礼さに対するものではなかった。いや、彼らのことを彼自身は好んでいた。ただ、彼はとにかく体裁にこだわることを好まなかった。
映写技師と写真家たちは驚いたウサギのように、飛行船のなかを走り回った。太陽はそれを表していた。太陽が彼らにそうさせたのである。
エッケナーは既に登場する用意が出来ていた。しかし、至るところで長い三脚が彼の後を追った。彼はゆっくりしたかったが、可哀想な写真家たちは撮影したがった。誰もが撮影しようと思っていたのである。あらゆるものが撮影された。最初の大きな乾板写真機と映写機による撮影が始まった。
レポーターたちはタイプライターの前に、怠け者たちは朝食の席につき、地図の好きな者たちは、壁に掛けられた大きな地図の前に座っていた。白い帽子と白衣のコックがハムを切り、卵とフルーツをサービスする。
乗客が少し動くように、そして、その映像がスクリーン上に流れることを誰も知らないように見せようと、映写技師は映写機を廻しながら「フムダダ、フムダダ」と大声で楽団の伴奏に加わった。
窓の外遠くまで身を乗り出しているのは、有能で、ちょっとやそっとでは感動することのないベルリン人ハルトマンである。彼にとってすべては「庭」であった。彼は携帯用ムービーカメラで飛行船中で自分や自分の「庭」を撮っていた。マタンから派遣されたフランス人、ガービル=レーシュ氏も撮影を試みていた。我々は前半の飛行で食卓が隣になった。彼は私からドイツ語を学んだ。彼の大きな目、黄色がかった顔色 - 彼の母親は黒人であった - 周航を終えてドイツのフリードリッヒスハーフェンに戻ったとき、人々のなかには、彼に向かって「万歳」という者もいれば「スペイン万歳」と叫ぶ者もいた。
彼はドイツ語で何を訊ねられても答えることが出来た。 - 「判りません」と、彼は満面の笑みを見せた。
そのほかに彼は「驚くなよ」と「可愛い女の子はどこにいますか?」という表現を憶えた。

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